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東京へ ともに歩む

毎日新聞

報道陣に公開された新国立競技場の実施設計段階の模型=東京都内のホテルで2015年7月7日午後3時4分、竹内幹撮影

Field of View

狂い始めた歯車 新国立競技場白紙撤回 東京開催決定から7年②

 「国家プロジェクトだから予算はなんとかなる」。2013年秋、新国立競技場の計画を事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)や所管の文部科学省は甘く見ていた。当初1300億円とされた工事費が3000億円超に膨らむと試算した設計会社の指摘に耳を貸さなかった。

日本スポーツ振興センターの河野一郎理事長(当時)からトロフィーを受け取るザハ・ハディドさん(右)=東京都港区で2013年3月19日撮影

 旧計画は「キールアーチ」と呼ばれる2本の巨大な弓状構造物が特徴で、世界的な建築家、故ザハ・ハディドさんがデザインした。安倍晋三首相は東京開催を決めた13年9月のIOC総会で「どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアム」の建設を表明した。

 「国際公約だからデザインは変えられない」。設計会社が複数のコンパクト化案を示し、ザハ事務所も理解を示していたものの、官僚らは首相に忖度(そんたく)し、不都合な真実を隠し続けた。

 そして15年春。新国立建設費の高騰が、当時の下村博文文科相と東京都の舛添要一知事の対立で注目されると、世論の批判は高まった。首相は安全保障関連法案を衆院で強行採決した7月16日の翌17日、旧計画の白紙撤回を突然表明した。

 旧計画には46作品の応募があったが、新計画は設計と施工を一括して担う事業者を公募したため、大半の建築家が施工会社と組めず、応募は2案のみ。工期短縮の「実現性」が決め手となり、建築家の隈研吾さん、大成建設、梓設計のグループのA案に決まった。

 旧計画はデザインそのものを悪者にされた感は否めない。これを機に、東京開催の歯車は狂い始めた。白紙撤回から8カ月後の16年3月31日、ザハさんは心臓発作で亡くなった。65歳だった。【山本浩資】

新国立競技場の新計画に選ばれたA案の図の前で握手する建築家の隈研吾さん(右)とJSCの大東和美理事長=東京都港区で2015年12月22日午後4時34分、森田剛史撮影

山本浩資

毎日新聞東京本社運動部副部長。1975年、京都市生まれ。99年入社。横浜支局、東京社会部、サンデー毎日を経て、出向先のBS11で報道番組のキャスターを経験。社会部時代にサッカー・ワールドカップブラジル大会やリオデジャネイロ五輪を現地取材した。中学はラグビー部で控えのSO、高校は硬式野球部主将。著書「PTA、やらなきゃダメですか?」(小学館新書)はリアルなPTA会長体験記。