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常夏通信

番外編 戦艦「大和」沈没から75年 元乗員の人生を戦後も左右した「不沈艦」

1941年10月に高知・宿毛沖で撮影された戦艦「大和」=大和ミュージアム所蔵

 今日、4月7日は戦艦「大和」が沈んでから75年。乗員3332人のうち、生き残ったのは1割に満たない276人だった。常夏記者こと一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている私は、このうち23人に取材している。そのうちの一人、八杉康夫さんが今年1月、92歳で亡くなった。今回はその八杉さんたちの証言から「大和」を振り返ってみたい。

 1945年4月6日。「大和」は沖縄に上陸していた米軍を撃退すべく、軽巡洋艦「矢矧」と、駆逐艦「雪風」「冬月」「涼月」「初霜」「磯風」「霞」「濱風」「朝霜」の8隻、計10隻で山口県の徳山(現周南市)から出撃した。

 大日本帝国海軍は開戦時、艦船の保有量で米英に次ぐ世界3位の地位にあった。近代戦の主役である航空母艦を基幹とする機動部隊の実力では、世界一であったとみていい。ところが41年12月8日の開戦以来、3年半足らずで悲惨な状況となった。

 たとえば、同日のハワイ・真珠湾奇襲で米太平洋艦隊に壊滅的被害をもたらした正規空母6隻がすべて撃沈されていた。「大和」特攻の時、まともに動ける正規空母はほとんどなかった。また戦時中12隻あった戦艦のうち、残っているのは「大和」のほか「長門」と「日向」「伊勢」「榛名」の計5隻。これも燃料不足などで、全艦そろってかつてのような作戦行動はできなかった。

 沖縄に向かった「大和」以下たった10隻が、世界有数の実力を誇った連合艦隊が最後に送り出せる戦闘艦隊であった。

 3332人の中には、少年の面影を残す17歳の八杉康夫さんがいた。私が最初にインタビューしたのは戦後60年の2005年だ。地元、広島県福山市の自宅で話を聞いた。

 戦時下、肌の合わない旧制中学校を辞め、実家の豆腐店を手伝っていた。いずれ軍隊に召集される。陸軍か、海軍か。街を歩く水兵たちはおしゃれで、すれ違うと香水のにおいがした。「コロン、と参ってしまい」、海軍を志願した。45年1月、「大和」に乗艦した。

 「大和」は帝国海軍のシンボルだった。魚雷などが当たり浸水しても、最新鋭の注排水システムが作動するはずだった。たとえば左舷が被弾して水が入ってきても、右舷に注水することでバランスを取り航行を続ける。「不沈艦」とも言われていた。

 巨艦にはさまざまな担当があったが、それぞれ成績最優秀の兵士が選ばれたとされる。誰もが憧れる船で、「天にも昇る気持ちでしたね」。17歳の八杉少年の担当は測的。敵艦に主砲を撃つために相手との距離を正確に割り出す部署だった。大和の存在価値は、世界最大の主砲にあった。配置は艦橋だ。重要な仕事で「本当に海軍に入ってよかった」と感じた。

 さて「特攻」というと、爆弾を積んだ航空機が敵艦に突っ込む航空特攻をイメージしがちだが、実は「大和」艦隊のような水上特攻もあった。「大和」の姉妹艦である航空母艦「信濃」(戦艦として計画されたが、改造された)が完成間もない44年11月、神奈川県の横須賀を出航した後に米潜水艦の雷撃を受けて紀伊半島沖で沈んだことから分かる通り、日本の近海でも制空権、制海権とも米軍に握られていた。

 しかも、「大和」艦隊には護衛機がほとんどつかなかった。7日朝、10機ほどが上空を護衛したものの短時間で離れた。それを見透かすように、米軍の偵察機が接触してきた。

 多数の艦載機による波状攻撃には、「大和」クラスでも持たない。それは同年10月、フィリピン・レイテ沖海戦で姉妹艦の戦艦「武蔵」が撃沈されたことからも明らかだった。翼なしの「大和」艦隊が、沖縄にたどり着く可能性は非常に低かった。

 それは他ならぬ海軍首脳も認識していたことだ。実際、「大和」艦隊への命令は「特攻」として発令されている。航空特攻は44年10月、海軍によりフィリピン戦線で始まった。しばらくは、米軍がそんな作戦を想定していなかったこともあって相当の戦果を上げた。しかし、日本側の意図を知った米軍が対応策を構築した結果、期待したほどの戦果は上がらなくなった。とはいえ、通常の作戦では、戦力で圧倒している米軍には太刀打ちできない。末期には特攻自体が目的となるような「作戦」が行われた。「大和」艦隊もその一つだと、私は見る。

 余談ながら、「特攻」について。通常の「作戦」は、兵士の生還を前提とするものだ。たとえば爆撃機ならば、敵艦に爆弾を当てて帰ってくる。それで出撃を繰り返す。結果的に戦死するにしても、必死の作戦ではない。ところが「特攻」は、成功がすなわち死を意味した。戦争は人道を踏みにじるものだが、人道無視の究極である。

 敗戦後、その特攻を推進した者たちの中には、「特攻は若者たちの意思だった」と言い張る元軍人がいた。

 私は「大和」をはじめ、実際に水上特攻で出撃した人や、航空特攻に臨みながら機体故障などの理由で帰還した人など30人近くに取材してきた。事前に特攻参加の意思を聞かれた人はただの一人もいなかった。初めから「強制された死」だったのだ。

 さて「大和」艦隊が出撃した翌7日。わずか2時間ほどの戦闘で「世界最強」とうたわれた巨艦は米軍機に撃沈された。 九州南西沖の北緯30度43分17秒、東経128度04分00秒。沖縄を囲む米艦を蹴散らすどころか、その艦影を見ることすらできなかった。乗員3332人のうち、伊藤整一司令長官ら3056人が戦死した。生還者は276人。1割にも満たなかった。「矢矧」と駆逐艦「磯風」、さらに「濱風」「朝霜」「霞」も沈んだ。艦隊全体では4044人が死んだ(人数には諸説ある)。作戦は完全に失敗した。米軍の被害は撃墜などの損失機が計12機、戦死と行方不明が14人。勝ち目のないアメリカ相手に戦争を始めた大日本帝国を象徴するような戦いだった。

 7日正午ごろ、米軍機の攻撃が始まった。八杉さんは測距儀にとびついてレンズを取ると、「レンズが真っ黒になるほどの米軍機が迫ってくるのが見えました」。「ついに世界一の主砲が火を噴く」と勇んだ。このころ、「大和」は三式弾という特殊な砲弾を積んでいた。対空戦闘用に空中で広範囲に破裂する散弾で、対空戦闘用として期待されていた。ところが米軍機は雲の上に上がってしまった。当日は雲が非常に多かった。そうされると測距はできず、主砲も撃ちにくい。米軍機は雲間に隠れつつ近付いてきて、「いきなり真上から襲ってくる感じでした」。

 この時、主砲を撃ったという説と、撃たなかったという説がある。八杉さんは「撃たなかった」と断言した。主砲発射に関わっていた自分が把握していないのだから、間違いない。そんな自信にあふれていた。「大和」の最大の存在価値は世界最大の主砲にある。それが、最期の戦いでどう機能したのか、しなかったのかは、八杉さんのような「大和」元乗員にとっては非常に大きな意味があったのだ。

 さて「世界最強」の「大和」はわずか2時間の戦闘で撃沈された。八杉さんは漂流して助けを待った。泳いでいると、光る物体が落ちてくる。周りで泳いでいた多くの兵にそれが当たり、沈んでいった。大爆発した「大和」の鉄片だった。八杉さんの右足にも当たった。

 たくさんの仲間が沈んでいった。八杉さんは水泳が得意だったが、おぼれそうになった。「助けてくれ!」と思わず叫んだ。すぐに「帝国軍人らしくない。情けない」と後悔した。すぐ近くに顔見知りの上官がいた。「『黙って死ね!』と言われるかと思いました」。ところが、上官は「落ち着くんだ」と、自分がつかまっていた丸太を八杉さんに譲った。「もう大丈夫だ。お前は若いんだから、頑張って生きろ」

 4時間ほど漂ったあと、ようやく救助の駆逐艦「雪風」が現れた。漂流する兵士たちを救うためにロープを下ろした。すると兵士たちがむらがり、ロープを奪い合った。「階級も年齢も関係ない。怒号が飛び交っていました」。スマートな海軍軍人の姿は、そこにはなかった。「こんなところにいたら殺される」と怖くなった。人が少なくなってから、ようやく引き揚げられた。八杉さんたちを助けた「雪風」は翌8日、佐世保に入港した。「前日とはうってかわり、雲一つない快晴でした。桜があたりで咲き誇っていました。甲板に兵士の遺体が並んでいて、その額に桜の花びらがついていました」。桜は「国の花」といってもいいほど、国民に愛されているが、八杉…

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栗原俊雄

1967年生まれ、東京都板橋区出身。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院修士課程修了(日本政治史)。96年入社。2003年から学芸部。担当は論壇、日本近現代史。著書に「戦艦大和 生還者たちの証言から」「シベリア抑留 未完の悲劇」「勲章 知られざる素顔」(いずれも岩波新書)、「特攻 戦争と日本人」(中公新書)、「シベリア抑留 最後の帰還者」(角川新書)、「戦後補償裁判」(NHK新書)、「『昭和天皇実録』と戦争」(山川出版社)など。

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