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つむぐ平和

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広島二〇二〇/12 原子野、疎開 語り続け 小笠原伸江さん(81)=南区 /広島

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小笠原伸江さん(81)=賀有勇撮影
小笠原伸江さん(81)=賀有勇撮影

 直接の被爆体験があるわけではないが、「あのときに感じたことを無駄にしたくない」。原爆投下時の疎開体験や行方不明となった祖母を捜し歩いた原子野の様子を語り、戦争と核兵器の愚かさを若い世代に伝えている。

 戦時中でも、軍人だった父のおかげで広島市内での暮らしは比較的豊かだった。だが、1945年3月に生活は一変した。戦況の悪化を受けて、緑井村(現・安佐南区)に家族で疎開した。農家の納屋に敷いた畳で雑魚寝し、飢えに耐える日々が続いた。

 8月6日、国民学校の朝礼で校庭にいるときに閃光(せんこう)を見た。背中に熱を感じた。その日のうちに、皮膚がただれ、顔が腫れ上がった人々が逃げてきた。地獄としか思えなかった。数日後、爆心地から1キロの場所に住んでいた祖母を捜すために市内に入ると、横川駅からは見えるはずのない、広島湾に浮かぶ似島が目に入った。焼け野原を歩いたときに踏んだ白い粉が「人骨」であることを母に告げられ、たまらなく恐ろしくなっ…

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