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コロナ禍の中でこそ読みたい本

差別や悲しみ、命や死と向き合う物語 渡辺憲司・自由学園最高学部長

渡辺憲司・自由学園最高学部長=2019年8月22日、中澤雄大撮影

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 新型コロナウイルスによる「非常時」が続き、事態の収束を図るための対策だけでなく、社会のあり方が問われている。自由学園最高学部長の渡辺憲司さん(75)は、立教新座高校の校長だった2011年3月、東日本大震災で卒業式が中止になった卒業生に向けたメッセージ「時に海を見よ」で、孤独や命を見つめ、苦しむ人に心を寄せることを説き、大きな反響を呼んだ。渡辺さんの語る今だからこそ読みたい本とは。【構成・五味香織/統合デジタル取材センター】

私たちは自然とうまく共存してきたか

 私たちが今、このウイルスの問題に直面しているのは、自然との共存がうまくいっていなかったことの表れのように思えてなりません。そして、対策を先導する政治は正しく情報を公開しているのか、人と人との間に差別意識はないのか、問い直す必要があると感じます。

 そんな中で読みたい本は、何といっても「ニルスのふしぎな旅」(セルマ・ラーゲルレーブ作)です。1900年代初めにスウェーデンで書かれた児童文学の古典で、まさに自然や動物との共存というテーマが根底にあります。

セルマ・ラーゲルレーブ作「ニルスのふしぎな旅(上)」(菱木晃子訳、福音館書店)

 日本でもさまざまな邦訳版が出版されてきましたし、80年代にはテレビアニメ化もされたので、多くの人が記憶しているのではないでしょうか。私も読み直そうと思い、菱木晃子訳の福音館書店版(上下2冊)を取り寄せました。

 物語は、動物たちにいたずらばかりして嫌われた少年ニルスが、妖精によって小さな体にされてしまうことから始まります。飼っていたガチョウの背に乗って空を飛び、ガンの群れと一緒にスウェーデン国内を旅します。行く先々で多くの動物たちと出合い、やがて家に帰るのですが、ガチョウを殺そうとした両親を止めようと叫んだ時、元の姿に戻るという結末です。悪いことばかりしていた子どもが、動物や自然を愛する心を知る過程が描かれています。

親切な家族が結核の女性に宿を提供し…

 スウェーデンの先進的教育の出発点ともいえる話で、環境保護への意識が読み取れます。この物語が生まれた頃、日本は戦争に突入していく時代でしたが、スウェーデンは平和への歩みを進めている時代でした。

 日本でも多くの作家たちに親しまれてきた一冊です。大江健三郎はノーベル文学賞の授賞式のあいさつで、母親から幼い頃に最初に薦められた本として、この作品を紹介しました。小学校の教科書や大学入試でも取り上げられたことがありますが、長編の原本をじっくり読む機会はありませんでした。

 後編の一部を紹介しておきましょう。当時スウェーデンでは結核がまん延していました。ある日、幸せに暮らしていた家族のもとに、貧しい旅の女が病に倒れ宿を求めます。親切な家族はこの女に宿を提供します。悲劇はここから始まります。女は当時不治の病であった結核を患っていたのです。病は家族中に感染し、姉たちが死に、父親も発狂し家を出てしまいます。そして、残された幼い姉と弟を前にして、死の直前の母親がこう言い残します。

 「よくおきき。あたしは、あの旅の女を家に泊めたことを、少しも後悔していない。いいことをしたのだから、死ぬのはこわくない。人間は誰だって死ぬんだ。死は、誰にも避けられない。だが、よい心を持って死ぬか、悪い心を持って死ぬかは、自分でえらべるんだよ」

石牟礼道子「苦海浄土」(講談社文庫)

 非常に強いメッセージです。私たちが突き付けられているのは、「本当のよい心とは何か」です。世代を超え、家族そろって読みたい本です。

何も悪いことをしていない人たちへの差別

 「苦海浄土 わが水俣病」(石牟礼道子著、講談社文庫)は、日本の病巣に鋭いメッセージを投げかけた一冊です。水俣病の患者や家族に対し、多くの差別がなされた事実や、その悲しみに向き合うことは、決して避けて通ってはならないものでしょう。

 この作品は日本の公害問題や経済成長の欺瞞(ぎまん)を突き、国のあり方を変えたと思いたいのですが、政府の新型コロナ対応を見ていると、情報公開の曖昧さや、終息後の人権教育における対応などに道筋が見えません。新型コロナが社会にどのような差別を生み出し、悲劇をもたらしたのか。現実をしっかり見るのは、現場から選ばれた政治リーダーの責任です。

 新型コロナという病に対して、正しく恐れなければなりません。もちろん医療の崩壊はいかにしても防がなければなりません。そして、その怖さをさらに拡大させている差別や偏見に目を向けねばなりません。

 今、世界で差別や偏見が拡大しています。患者だけでなく、治療に携わっている医療関係者やその家族など、新型コロナと闘っている人たちへの差別が起きています。最前線で闘う勇者への感謝が広まる一方で、正義が土足で踏みにじられているのです。こういう悲劇的な状況にある時こそ、情報を正しく公開し、政治が強いメッセージを発する必要があります。

 差別が犯した過ちに真正面から向き合うことが、真の人間愛を考えることにつながるのです。日本の差別の歴史に向き合うために、ぜひこの一冊をお読みください。

芭蕉が語った「命」

 最後に松尾芭蕉の「野ざらし紀行」を紹介します。芭蕉が江戸から東海道を経て故郷の伊賀までを旅した際の紀行文です。「芭蕉紀行文集」(岩波文庫)に12ページにわたって45句が収められており、声に出して読んでも30分程度で済むので、手に取りやすいでしょう。

中村俊定校注「芭蕉紀行文集」(岩波文庫)=岩波書店サイトより

 なんと言っても古典は、自分の解釈ができる自由さがあります。注釈がないと読みにくい面はありますが、まず自分なりの解釈を考え、それから注釈や訳を読むことを勧めます。

 この紀行文の主題は「命」にあると思います。芭蕉は決死の「野ざらし」を覚悟で旅に出て、捨て子に思いをはせ、母の墓前にぬかずきます。「命」を視点にお読みください。

 芭蕉は、若い弟子との再会に「命二つの中に生きたる桜かな」の句を詠んでいます。「生きて再び会うことのできた二つの命の間に、生き生きと桜が咲いている」という意味です。命とは何だろうかと考えさせられます。

 きっと来年は、満開の桜の下で、この句を思い出すことができるでしょう。

 自由学園ウェブサイトの最高学部長ブログ「時に海を見よ その後」では、「休校おすすめ読書」を連載し、落語本などを紹介しています。そちらもご覧ください。

わたなべ・けんじ

 1944年、北海道生まれ。立教大大学院修了。横浜市立商業高校定時制教諭、私立武蔵高校教諭、立教大学教授、立教新座中学・高校校長などを経て2015年4月から現職。自由学園最高学部は自由学園の大学に相当する。専門は日本近世文学。著書に「江戸遊女紀聞」「時に海を見よ」など。

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