この国はどこへ コロナの時代に 作家・山崎ナオコーラさん 「無理に働かない」広まる予感
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仕事よりも遊びが大事。稼がないからって卑屈になることはない。定職があるから何だって言うの――。新型コロナウイルスに見舞われたこの時代、小説「リボンの男」(2019年)をはじめ、山崎ナオコーラさん(41)の作品を読むと解放感を味わえる。当人は経済小説と言うが、紛れもない思想小説だ。少しねじれていたり、頑固だったりするのに、最後は敵を受け入れ自分が変わることをいとわない登場人物たちの心の柔らかさもいい。
「リボンの男」は稼ぎのいい妻、幼子と暮らす主夫のつぶやきが面白い。小川に落としてしまった100円玉を子供と1時間かけて捜すが見つからず、自分は「時給マイナス100円の男なんじゃないだろうか?」とかすかに引け目を感じている。
「リボン」というのは、女性に頼る無職の男「ヒモ」の言い換えだ。主人公も「ヒモ」という言葉にあからさまに抵抗する。
働かない男というと、私の場合、10歳の頃の叔母の言葉を思い出す。「僕、何して遊んでるの」と玄関を掃きながら声をかけてくれる四十年配の近所の男性について「あのめがねのおじさん、働いてないのよ」と意地悪く耳打ちした。長じて後、彼の愛想の良さを思い出した私は、実は彼はひょうひょうとした笑顔で世間にあらがっていたのではと思うに至った。
1970年代、石立鉄男や中村雅俊が演じる風来坊のドラマで、男の無職はかっこいいという風潮が一瞬あった。「一生働かない夢」がどこかしらにあった。しかも「ヒモ」は誰もがなれるものではない、才覚が必要だ、と。
一方、どこか自嘲的な「リボンの男」の主人公は妻に稼ぐことの不安をぶつけられ、また友人たちの活躍を見てこう思う。<世界を広げることを成長と呼ぶのだと思っていたが、世界を細分化するのも成長なのかもしれなかった。自分の世界はみんなに比べてかなり小さい。でも、もしかしたら、むしろこのまま小ささを極めて、細分化していく道を進んでもいいのかもしれない>(一部略、以下同)
東京郊外の喫茶店で山崎さんと落ち合うと、主人公には自身の思いが映されていると言う。
「私の同世代の作家の友人たち、中村文則さんや村田沙耶香さん、西加奈子さんたちはみんな大活躍して、仕事や旅行で世界中を回って、英語も上手になっているんです」
その間、山崎さんは子育てなど私生活で多忙だった。「自分一人置いていかれたと思いました。子育て期間は子供の送り迎えしかしない『リボンの男』そのまま。世界がすごく小さくなったので、悔しまぎれに、遠くに行かなくても成長できるって考えだしました。自分は野心家で、前へ遠くへ行かないと成長できないと思っていましたが、世界をより細かくするのも成長ではないかと思い始めたんです」
人は海外で成長するというのは錯覚。森鷗外、夏目漱石のような人はたとえ欧州経験がなかったとしてもすごい人だった、とは作家、関川夏央さんの至言だ。ましてやコロナの時代。世界のどこにいても皆、自宅の「小さな世界」である。
「家にいても仕事ができるし、会議もオンラインで十分。ハンコ押す意味って何?とか、必要のない飲み会ばかりだったねとか、わかってきましたよね。小さな世界にいても遠くにつながると実感したから…
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