- ポスト
- みんなのポストを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
元「国鉄マン」という異色の経歴の持ち主である。保線担当だった。
1987年の分割・民営化でJR東海の社員に。職場も地元・長野から愛知に変わり、役者の道に進むきっかけとなった。仕事帰りや休みの日に映画館に通い詰めるうち、知遇を得たのが映画監督の山川直人さんだった。89年、山川さんにミュージックビデオに起用され、「シンデレラが舞踏会に連れて行ってもらったような気分でした。楽しかったので、もう一回、撮影現場に参加したいという気持ちが強まったんです」。
会社を辞めようか――悩んでいたある日、交通事故を起こした。事故処理をしている時、心が決まった。「もし相手を死なせていたら、人生を選ぶことすらできない。どうせ失敗するなら、好きなことをやって失敗した方が納得できるじゃないかって」
この記事は有料記事です。
残り1356文字(全文1695文字)