国内最大「秀吉像」 徳川の時代に鳴りを潜めた「太閤様」信仰 一般公開も検討

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発見された国内最大の豊臣秀吉坐像について語る大宮神社の広瀬哲宮司=大阪市旭区大宮3の大宮神社で2020年5月、矢追健介撮影
発見された国内最大の豊臣秀吉坐像について語る大宮神社の広瀬哲宮司=大阪市旭区大宮3の大宮神社で2020年5月、矢追健介撮影

 大阪を拠点として天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は1598年に亡くなった後、京都の豊国神社で「豊国大明神」としてまつられた。しかし、徳川家康が江戸幕府を開いた後は遠ざけられ、秀吉信仰は鳴りを潜めた。大阪市内で初めて見つかった大宮神社の秀吉像にも故意に装飾が除かれた跡があり、秘伝の存在だったことがうかがえる。専門家は「秀吉信仰のあり方を研究する貴重な資料だ」と評価する。

 「太閤様(秀吉)」信仰は、秀吉の死後、京都でまつられてから始まったが、江戸時代には公には困難になった。豊国神社は、「国家安康」と刻まれた釣り鐘がある方広寺の敷地内にある。大坂冬の陣(1614年)の口実にされて豊臣家が追い込まれた史実は有名だ。長谷洋一・関西大教授(日本彫刻史)は「秀吉の拠点だった大阪で公に信仰するのはさらに難しかったはずだ」と話す。ただ、江戸時代後期には、秀吉の一代記が出版され、…

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