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社史に人あり

高島屋/6 外国人客に美術織物を提供=広岩近広

1881(明治14)年に、東京で開催された博覧会の会場

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 京都の街を兵火にさらした「蛤(はまぐり)御門の変」(1864年)をへて、対立関係にあった薩摩藩と長州藩は徳川幕府を倒すために同盟を結んだ。武力討幕派の薩長両藩は主導権を握るや、王政復古の大号令を発する。明治維新により68年、江戸は東京と改称され、元号も明治になった。

明治時代に使用された高島屋の英字名刺=高島屋史料館提供

 王政復古で即位した明治天皇が東京に移り住むと、京都は一時期、活気を失って寂然としていた。だが町衆は、古都の復興を目指して立ち上がる。71(明治4)年、京都で日本初の博覧会を開き、翌年には第1回「都をどり」の開催にこぎつけた。

明治時代に使用された高島屋の英字名刺=高島屋史料館提供

 高島屋の2代飯田新七は、こうした時代の風潮を鋭くとらえた。呉服だけでなく帽子や毛糸の首巻きを店頭に並べ、染織分野に乗り出すなどして、経営範囲を拡大していくのだった。

 76年には、アメリカの「スミス・ベーカー商会」から商社マンが訪れる。大量の袱紗(ふくさ)を購入したのを機に、外国人相手の美術織物を商品に加えた。禁止されていた絹物の着用が認められると、さらに販路をひろげて大阪方面への行商にも力を注いだ。

 「よき後継者を得た」と初代に言わしめた2代新七について、「髙島屋」(島田比早子氏らの共著で出版文化社新書)に、次の記述が見られる。

 <一八七七年には、大宮御所で開かれた第六回京都博覧会に呉服物を初めて出品したところ、名誉ある褒状を受けた。さらに翌年の博覧会では、二代目新七が京都府より品評方(審査員)を命じられた。二代目新七は、博覧会への出品、貿易の開始、さらには本店南隣の持ち家に段通店を開業するなど、経営の基礎づくりと拡大に努めてきた。初代の抱負を着々と実行に移し、企業の組織も整え、すべて順調に進んでいるかに見えた。ところが、髙島屋の大黒柱であったこの二代目新七が、五十一歳で病により急逝したのである>

 2代新七の死去は、初代が亡くなって、わずか4年後だった。大黒柱を亡くした妻の歌は、5男2女を抱えて一時は途方に暮れた。しかし、そこは女丈夫(じょじょうふ)の歌である。長男の直次郎を後継に決めるや、22人の店員を集めて次のように呼びかけ、協力を求めた。

 「みんな、よく聞いておくれ。先代さんも旦那さんも家を継がれたのは、25歳のときやった。直次郎も今年は25歳、そこで3代新七を直次郎に継いでもらいます。そやけど先代や旦那さんの時とは店構えも違うし、ご時世も違います。それに直次郎は、体もあまり強いほうではおへん」

 歌は区切ってから、自身の決意を示したうえで、こう督励するのだった。

 「そやから私も、これから男になったつもりでやります。みんなも力を合わせ、助け合って、しっかり頼みますえ」

 歌には、初代新七の娘(長女)ならではの気骨がみられた。

(敬称略。構成と引用は高島屋の社史による。次回は6月6日に掲載予定)

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