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毎日新聞

1964年東京大会の閉会式で腕を組みながら入り交じって入場する各国の選手たち=同年10月24日撮影

オリパラこぼれ話

閉会式で各国選手が入り交じって入場 きっかけは中国人少年の手紙

 戦いを終えた選手らが国籍を超えて腕、肩を組みながら笑顔で入場してくる。オリンピックの最終日を飾る閉会式。国ごとに整列して入場する開会式とは対照的な光景だ。各国選手が入り交じっての入場は1956年のメルボルン大会が最初で、大会期間中に組織委員会に届けられた少年の1通の手紙がきっかけだった。

     南半球初開催となる大会は、11月から12月にかけて行われた(馬術は6月にスウェーデン・ストックホルムで実施)。しかし、開幕直前の10月、ハンガリーの民主化運動にソ連軍が出動して武力鎮圧を図ったハンガリー動乱が発生。また、エジプト政府がスエズ運河会社の国有化を発表したことが発端となり、イスラエルや英国、フランスが侵攻したスエズ戦争も勃発した。これらの国際紛争に抗議し、オランダやスペイン、スイス、エジプト、イラクなど大会に参加しない国が続出した。

     そんな中、組織委員会に匿名の手紙が届いた。「オリンピック全大会 人と時代と夢の物語」(武田薫著、朝日新聞出版発行)などによると、手紙を書いたのはオーストラリアに住む中国人で17歳のジョン・イアン・ウイングさんだった。

     「オリンピックが始まる前は、何もかも大混乱だと思っていました。でも、そうじゃなかった。素晴らしい大会です。戦争、政治、国家をすべて忘れ、閉会式では一つの国になるべきだ」

     各国選手が一緒に入場する式をイメージした絵も添えられていた。平和を訴える強いメッセージに組織委員会は急きょ採用を決めた。ウイングさんは大会後に組織委員会にあてたお礼の手紙で名前を明かしたが、公表を拒んだという。

    1956年メルボルン大会の閉会式で入り交じって入場後に礼砲のセレモニーを見る各国の選手たち(手前左側)=同年12月8日、石井清撮影

     それから44年後、シドニー大会の閉会式にウイングさんの姿があった。メルボルン大会30周年を記念し、地元メディアが当時の五輪資料から判明したウイングさんを探すキャンペーンを実施。「ジョン、君はどこにいるんだ? 歴史のため、いるなら、立ち上がってくれないか」との記事を掲載したことでその消息が分かったのだ。オーストラリアでは2度目となるシドニー大会に招待された。

     ウイングさんの入場方法は60年ローマ大会閉会式では行わなかったが、64年東京大会で「選手は国籍の別なく一団となって入場する」(実施要項)と再び取り入れられ、現在まで引き継がれている。ちなみにこの時、日本人選手だけは整列して入場したが理由は分かっていない。【関根浩一】

    関根浩一

    東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。