それにしても、大岡信が文芸創造の場として論じた「うたげ」が、今ほど困難なことはない。彼なら、この状況をどう考えるか。
大岡らによる連句や連詩では、はがきや手紙で句や詩を送り合ったり、会合で未完の場合、電話やファクシミリを使って続行したりする例も少なくなかった。現在ではメールやネット上で連句や連詩を作るケースもある。大岡も健在ならば「オンライン連句(連詩)」を試みたのではないか。
だが、彼が詩の共同制作に見た意義の一つは、参加者が同じ場所に集まって行う点にあった。『連詩の愉(たの)しみ』(1991年)によれば、「他人と同じテーブルを囲んだまま、丸見えの状態で、詩を作る」ことは、「個人の秘密の時間と場所」で創作する現代詩人の習慣を創造的に破壊する。
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