芭蕉の「謎の追悼句」制作過程が分かる書簡 山形・酒田で発見

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見つかった芭蕉の自筆とみられる書簡=山形県酒田市の酒田あいおい工藤美術館で、長南里香撮影
見つかった芭蕉の自筆とみられる書簡=山形県酒田市の酒田あいおい工藤美術館で、長南里香撮影

 江戸時代前期の俳人・松尾芭蕉(1644~94年)直筆とみられる書簡が山形県酒田市で見つかった。芭蕉が紀行文「おくのほそ道」の旅で、1689(元禄2)年に羽黒山(鶴岡市)に滞在した際に記した「天宥(てんゆう)追悼句」(県指定文化財)の修正を指示する内容。追悼句を所蔵する出羽三山歴史博物館は「長年謎に包まれていた追悼句の成り立ちが明らかになった」と注目する。【長南里香】

 見つかった書簡は掛け軸にされた1枚で、縦15センチ、横32センチ。宛名や署名、落款はないが、天宥追悼句について、「発句の無玉(なきたま)は其(その)玉に直してもいい」などと、計2カ所の修正を依頼している。

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