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社史に人あり

高島屋/7 「女傑」の母が大奮闘=広岩近広

心優しい「女傑」で知られた飯田歌=高島屋史料館提供

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 京都に高島屋のルーツとなる呉服店を開いた初代飯田新七(隠居後は新兵衛に改名)の長女で、2代新七(婿養子)の妻歌は、夫を51歳で亡くしてから「女傑」と呼ぶにふさわしい奮闘を見せた。

 社史は<高島屋の揺籃(ようらん)期を、しっかりと後ろから支えておられたのです>と明記している。「飯田家記録」から、次男鉄三郎(後の4代新七)の回顧談を紹介したい。

初代飯田新七につながる飯田家の主な系図=高島屋史料館提供

 <今、ひるがえって当時を追想すれば、なお涙の下るものがあります。子ども7人ありといっても、幾分の手助けとなるのは、長男と次男の2人のみ。一方に22名の店員があり、その監督もおろそかにできません。

 このような事態にあって、婦人の身でほとんど独立経営ともいうべき業務を担当された苦心のほどは、尋常のことではありませんでした。ましてや、万が一にも失敗したならば、世間はいわゆる寡婦の商業であるとして冷笑するような当時であれば、真実苦労されたことは言うまでもありません。

 そればかりでなく、母の念頭を離れなかったのは子どもたちの教育のことでした。人材の養成は、一家のためにも当人のためにも、一日もおこたってはならないものであると、常に子どもたちの教育に留意された「山海の鴻恩(こうおん)」(多大な恩恵)は、筆紙に尽くしがたいものです>(抄訳)

 高島屋の経営と子どもたちの育成という2大目標に向かって、歌は突き進んだ。鉄三郎は、<その実績には、人には真似(まね)のできない素晴らしいものがあります>と結んでいる。

 さらに歌は、政財界の要人との懇談にも積極的で、持ち前の明るく朗らかな性格で応対した。要人たちの心をひきつけ、経営に関する会話も闊達(かったつ)だった。菊地浩之著「日本の地方財閥30家」(平凡社)は、歌の並外れた一面を、次のように記している。

 <歌は女傑として知られ、新撰組の「誠」の隊旗を受注する一方、勤王派の志士とも交流があり、特に桂小五郎(のちの木戸孝允)夫人幾松と親しかった。そのため、明治維新後には政府要人の夫人との交友関係を重ね、宮内省御用達や政府からの用務を引き受けることになり、一八九〇年には東京日本橋本石町に東京出張所を設け、その応対に尽力した。この東京出張所が、一九〇〇年の京橋区西紺屋町(現銀座三丁目西側)の東京店開店につながっていくのである>

 歌は、自分の子どもだけでなく、店員にもわけ隔てなく接した。たとえば店員が仕事でどんなに夜遅くなっても、歌は寝ずに起きていて、熱いうどんを振る舞った。こうした歌のこまやかな心配りに、店員たちは何よりうれしかったと、後々まで語っている。

 歌は「女傑」という衣の下に、初代から受け継いだ「人間力」を備えていたのだった。

 (敬称略。構成と引用とは高島屋の社史による。次回は6月13日に掲載予定)

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