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第94回センバツ高校野球

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“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談

5敬遠その後「3年勝てず辞表出した」県外遠征で明徳バスに投石も(第4回)

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第68回選抜高校野球大会に出場を決め、選手に指導する明徳義塾の馬淵監督=高知県須崎市で1996年2月
第68回選抜高校野球大会に出場を決め、選手に指導する明徳義塾の馬淵監督=高知県須崎市で1996年2月

 1992年夏の甲子園で明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った5打席連続敬遠策。高校野球史に刻まれた戦略などについて、明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(64)と星稜(石川)の当時2年生遊撃手として出場した林和成監督(44)が語る、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」での高校野球監督対談。第4回は、5打席連続敬遠がその後に与えた影響を振り返った。【構成・安田光高】

監督になり気づいた「5敬遠」決断の重み

 2011年4月に星稜の監督に就任した林監督。現役時代には気付かなかった「5連続敬遠」の決断の重みを知った。

 林監督 監督という立場になり、あの試合での馬淵さんの偉大さ、すごいことをされたんだなと思った。ある程度、批判を覚悟の上で徹底された。試合の流れを読み解く目は、勉強しないといけない。馬淵さんから教わったことでもあるので、一歩でも近づきたいなと思いますね。

1992年夏以来の甲子園出場となった第68回選抜高校野球大会。1回戦の福井商戦で2安打完封し、喜ぶ明徳義塾の吉川=甲子園球場で1996年3月26日
1992年夏以来の甲子園出場となった第68回選抜高校野球大会。1回戦の福井商戦で2安打完封し、喜ぶ明徳義塾の吉川=甲子園球場で1996年3月26日

 一方で批判を浴びた明徳義塾は、しばらく甲子園の舞台から遠のくことになる。

 馬淵監督 あの試合から3年は勝てなかった。監督の代わり目かな、と思って学校に辞表を出したこともある。周りの目を自然に意識したのでしょうかね。遠征で四国の外に出た時、バスに石を投げられたりしてね。選手たちも嫌な思いをしたんじゃないかな。あれがなかったら、今の明徳もないと思いながらやっていた。

 結果が出ず、嫌がらせも受けるなど苦しい時期が続く中、一つの答えにたどり着いた。

 馬淵監督 僕は結構、いろんな人から話を聞くタイプですが、あまり良い結果が出なかった。3年間勝てなかった時、やっぱり監督は自分の思い通りにやった方がいいんじゃないかと思った。人の意見を聞いても、自分の思い通りにやっても、いい方向に出るか悪い方に出るか分からない。それなら自分の信念の下、チーム作りをして試合をやったらいいんじゃないかと思うようになった。そこからですね、勝ちだしたのは。迷わなくなりました。

1992年夏以来となる甲子園出場となった第68回選抜高校野球大会。開幕試合で福井商に勝利し、試合後、アルプススタンドの応援団にあいさつする明徳義塾の馬淵監督(右から2人目)=阪神甲子園球場で1996年3月26日
1992年夏以来となる甲子園出場となった第68回選抜高校野球大会。開幕試合で福井商に勝利し、試合後、アルプススタンドの応援団にあいさつする明徳義塾の馬淵監督(右から2人目)=阪神甲子園球場で1996年3月26日

最後は結局、自分の意見を通す

 96年の第68回選抜高校野球大会で復活出場を果たすと、その後は甲子園常連校となっていった。

 馬淵監督 林監督は若いし、これから勝っていくんでしょうけど、最後は結局、自分ですよ。いろんな意見を聞きながら、最終的には自分の意見を通す。結果が出なかったら監督の責任。今でもそう思いながらやっているし、その覚悟ができている。監督というのは、漁船で言うたら船頭。船頭が悪かったら魚も取れない。乗組員の家族にも迷惑をかける。それだけ責任がある。日々、勉強しながらやっていったらいいんじゃないかなと思っています。

第74回全国高校野球選手権大会3回戦(広島工-明徳義塾)の試合後、スタンドにあいさつして引き上げる明徳義塾の馬淵監督(右手前)=阪神甲子園球場で1992年8月22日
第74回全国高校野球選手権大会3回戦(広島工-明徳義塾)の試合後、スタンドにあいさつして引き上げる明徳義塾の馬淵監督(右手前)=阪神甲子園球場で1992年8月22日

 馬淵監督にとって、指導者の転機となった3年間。林監督の転機は、海外でも報道されたあの試合だった。=つづく

明徳義塾

 1976年創立の中高一貫の私立校。野球部も同年創部した。甲子園初出場は明徳時代の82年春。夏は初出場の84年から2014年まで初戦16連勝。02年夏に甲子園初優勝。4強以上は松坂大輔(西武)を擁した横浜(神奈川)に敗れた98年夏を含め、春夏計6回。春は19回出場で25勝18敗、夏は20回出場で34勝19敗。

馬淵史郎

 まぶち・しろう 愛媛・三瓶高、拓大では遊撃手。1986年に社会人野球・阿部企業の監督として日本選手権準優勝。87年から明徳義塾高のコーチを務め、90年に監督就任。甲子園は2002年夏に優勝。春夏通算51勝(32敗)は歴代4位タイ。U18(18歳以下)アジア選手権大会に出場する高校日本代表監督も務める。同校スポーツ局長。

第101回全国高校野球選手権大会決勝(履正社—星稜)、グラウンドを見つめる星稜の林監督=阪神甲子園球場で2019年8月22日、幾島健太郎撮影
第101回全国高校野球選手権大会決勝(履正社—星稜)、グラウンドを見つめる星稜の林監督=阪神甲子園球場で2019年8月22日、幾島健太郎撮影

星稜

 1962年に創立し、野球部も同年創部。山下智茂監督が率いて72年夏に甲子園初出場。79年夏の3回戦、箕島(和歌山)との延長十八回の激闘は「高校野球史上最高」の試合とも呼ばれる。95年夏には2年生エース・山本省吾(元ソフトバンク)を擁して準優勝。2019年夏も準優勝に輝いた。春は14回出場で9勝13敗、夏は20回出場で24勝20敗。

林和成

 はやし・かずなり 金沢市出身。星稜高では主に遊撃手として活躍し、甲子園に春1回、夏2回出場。日大では準硬式野球部に所属。星稜高で1998年からコーチ、2004年から部長をそれぞれ務め、11年4月に監督に就任した。春夏通算11勝7敗。2019年夏の甲子園では奥川恭伸(ヤクルト)を擁して準優勝した。社会科教諭。

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