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第94回センバツ高校野球

第94回選抜高校野球大会の特集サイトです。阪神甲子園球場での熱戦全31試合をLIVE配信します。

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“松井5敬遠”28年後の馬淵×林対談

ミラクル劇で甲子園決めた星稜 2014年「自主自立」押し出し復活(第5回)

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第96回全国高校野球選手権大会石川大会決勝の小松大谷戦で、九回に8点差を逆転サヨナラ勝ちし、喜ぶ星稜の選手たち=金沢市の石川県立野球場で2014年7月27日、竹田迅岐撮影
第96回全国高校野球選手権大会石川大会決勝の小松大谷戦で、九回に8点差を逆転サヨナラ勝ちし、喜ぶ星稜の選手たち=金沢市の石川県立野球場で2014年7月27日、竹田迅岐撮影

 1992年夏の甲子園で明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った5打席連続敬遠策。高校野球史に刻まれた戦略などについて、明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(64)と星稜(石川)の当時2年生遊撃手として出場した林和成監督(44)が語る、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」での高校野球監督対談。第5回は、昨夏の甲子園で準優勝するなど近年活躍著しい星稜を作り上げた林監督の転機を振り返る。【構成・安田光高】

海外でも話題 8点差ひっくり返すサヨナラ勝ち

第95回全国高校野球選手権大会1回戦【星稜-鳴門】七回裏鳴門2死満塁、松本(奥)に満塁本塁打を浴び、打球の行方を追う星稜の岩下=阪神甲子園球場で2013年8月10日、三浦博之撮影
第95回全国高校野球選手権大会1回戦【星稜-鳴門】七回裏鳴門2死満塁、松本(奥)に満塁本塁打を浴び、打球の行方を追う星稜の岩下=阪神甲子園球場で2013年8月10日、三浦博之撮影

 林監督は今季が就任10年目。就任当初と比べると、その指導方針は変化してきた。

 林監督 縛り付けるのがあまり好きではないので、ある程度は言うが(昔と比べて)生徒に任せられることは任せるようになった。

 きっかけは2014年。夏の石川大会決勝の小松大谷戦で0―8から九回に9点を奪って逆転サヨナラ勝ちした。大逆転劇は海外でも報じられた。

 林監督 自主自立を前面に出していこうとなったのは、あの大逆転があった年から。昼休みに主将を呼び、何の練習をしたらいいかなど話をして、主将からチームのみんなに話すような形になってから結果も出るようになってきた。監督になりたての頃は、結果ばかりを求め、自分自身も練習で100%やりきらないと不安があったが、ちょっと余裕を持とうという考えになって肩の力が抜けた時にふと勝てるようになった。

 星稜は98年夏の甲子園で2勝した後、次の勝利は14年夏までかかった。99年に母校にコーチで戻った林監督も、勝てない厳しい時代を経験した。

第89回全国高校野球選手権大会2回戦、長崎日大に初戦で敗れ、肩を落とす星稜の選手たち=阪神甲子園球場で2007年8月12日、小関勉撮影
第89回全国高校野球選手権大会2回戦、長崎日大に初戦で敗れ、肩を落とす星稜の選手たち=阪神甲子園球場で2007年8月12日、小関勉撮影

 林監督 平成10(1998)年の後は、10年間で春夏1回ずつしか(甲子園に)出られなかった。悲壮感が漂い、勝たなきゃ勝たなきゃとの思いがチームに強かった。そういうところを監督になって、しばらくしてから変えた。

 主将主導のチーム作りをした直後、石川大会決勝での大逆転が起きた。林監督は0―7となった四回の時点で負けを覚悟したという。

 林監督 毎年スローガンを選手たちに決めさせ、(その年の)「必笑(ひっしょう)」も生徒たちが考えた。もう試合の途中で白旗だったので、「お前たちの考えたスローガンだから最後ぐらい楽しんでやれ」という感じでやった。ああいうことは絶対起きないが、あの試合から生徒たちに教えられた。

【星稜9-8小松大谷】第96回全国高校野球選手権石川大会決勝のスコアボード=金沢市の石川県立野球場で2014年7月27日、竹田迅岐撮影
【星稜9-8小松大谷】第96回全国高校野球選手権石川大会決勝のスコアボード=金沢市の石川県立野球場で2014年7月27日、竹田迅岐撮影

 あの時の主将は、初めてレギュラーではなかった。6月のある日「レギュラー9人には入れないよ」と言って「キャプテンに徹してほしい」「チームをまとめることに徹してほしい」と告げた。そこから彼も変わり、チームもいい方向になった。夏前には、このチームならという手応えを感じた。1カ月でチームをまとめてくれて、それが非常に大きかったですね。

 馬淵監督 星稜の監督は「十字架」を背負ってますよ。勝つことを求められて大変だと思います。

 14年夏の甲子園で2勝した星稜は、再び甲子園常連校として歩み始めた。そして昨秋、明徳義塾と再び相まみえることになる。=つづく

第96回全国高校野球選手権大会1回戦(静岡-星稜)、八回裏星稜1死二塁、岩下が右中間適時二塁打を放つ(捕手・堀内)。1998年以来16年ぶりの甲子園勝利を挙げた=阪神甲子園球場で2014年8月12日、喜屋武真之介撮影
第96回全国高校野球選手権大会1回戦(静岡-星稜)、八回裏星稜1死二塁、岩下が右中間適時二塁打を放つ(捕手・堀内)。1998年以来16年ぶりの甲子園勝利を挙げた=阪神甲子園球場で2014年8月12日、喜屋武真之介撮影

第96回全国高校野球選手権石川大会決勝、○星稜9―8小松大谷●(2014年7月27日)

 九回、8点を追う星稜は先頭の村中健哉が四球を選ぶと、今村春輝の三塁打で1点を返して反撃開始。無死三塁から村上千馬や梁瀬彪慶の適時打などで3点を加点し、岩下大輝が特大の2点本塁打を放って2点差。さらに1点を加え、2死一、二塁から村上の適時打で同点。続く佐竹海音の左越え適時打でサヨナラ勝ちした。

明徳義塾

 1976年創立の中高一貫の私立校。野球部も同年創部した。甲子園初出場は明徳時代の82年春。夏は初出場の84年から2014年まで初戦16連勝。02年夏に甲子園初優勝。4強以上は松坂大輔(西武)を擁した横浜(神奈川)に敗れた98年夏を含め、春夏計6回。春は19回出場で25勝18敗、夏は20回出場で34勝19敗。

第84回全国高校野球選手権大会で初優勝を果たした明徳義塾の馬淵監督=阪神甲子園球場で2002年8月21日、佐々木順一撮影
第84回全国高校野球選手権大会で初優勝を果たした明徳義塾の馬淵監督=阪神甲子園球場で2002年8月21日、佐々木順一撮影

馬淵史郎

 まぶち・しろう 愛媛・三瓶高、拓大では遊撃手。1986年に社会人野球・阿部企業の監督として日本選手権準優勝。87年から明徳義塾高のコーチを務め、90年に監督就任。甲子園は2002年夏に優勝。春夏通算51勝(32敗)は歴代4位タイ。U18(18歳以下)アジア選手権大会に出場する高校日本代表監督も務める。同校スポーツ局長。

星稜

 1962年に創立し、野球部も同年創部。山下智茂監督が率いて72年夏に甲子園初出場。79年夏の3回戦、箕島(和歌山)との延長十八回の激闘は「高校野球史上最高」の試合とも呼ばれる。95年夏には2年生エース・山本省吾(元ソフトバンク)を擁して準優勝。2019年夏も準優勝に輝いた。春は14回出場で9勝13敗、夏は20回出場で24勝20敗。

第95回全国高校野球選手権大会で監督就任後、初の甲子園に臨む星稜の林監督(右)。1回戦の対戦相手の鳴門の森脇稔監督と握手を交わして健闘を誓い合う=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で
第95回全国高校野球選手権大会で監督就任後、初の甲子園に臨む星稜の林監督(右)。1回戦の対戦相手の鳴門の森脇稔監督と握手を交わして健闘を誓い合う=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で

林和成

 はやし・かずなり 金沢市出身。星稜高では主に遊撃手として活躍し、甲子園に春1回、夏2回出場。日大では準硬式野球部に所属。星稜高で1998年からコーチ、2004年から部長をそれぞれ務め、11年4月に監督に就任した。春夏通算11勝7敗。2019年夏の甲子園では奥川恭伸(ヤクルト)を擁して準優勝した。社会科教諭。

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