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社史に人あり

高島屋/8 貿易部の別称は「輸出掛」=広岩近広

美術染織品を主導した3代飯田新七=高島屋史料館提供

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 高島屋の2代飯田新七が、1878(明治11)年9月に51歳で急逝したとき、妻の歌は母として、子どもたちにこう言い聞かせている。

「世界三景」のビロード友禅壁掛は日英博覧会(1910年)で金ぱいを受賞。写真は修復完成した原画「ロッキーの雪」(山元春挙)=高島屋史料館提供

 「たとえ一本の矢はもろくとも、3本5本と束になれば非常に強くなるという、故人の戒めもあります。みんな力を合わせ助け合って、お父さんや先代の志にそむくことのないように努力していきましょう。みんな頑張ってや」

 歌は、子どもたちの「和合協力」こそが、高島屋を支える柱になると信じ、子どもたちの養育に心血を注いだ。商家の女主人であり、母でもある歌から薫陶を受けた子どもたちは、見事なまでに期待に応えた。社史は<六人の兄弟達は、お互いに助け合い、それぞれの個性を十分に発揮して、高島屋の発展に尽くしました>と記している。

 3代新七に就いた長男の直次郎は、意匠(デザイン)・図案の分野に天分を発揮する。1882(明治15)年から、当代一流の画家や工芸家に下絵を発注し、雇い入れた画工がこの下絵に刺繡(ししゅう)を施した。一連の作業は新たに設けた画室で行われた。

 こうして、ビロード友禅や京都らしい綴錦(つづれにしき)が仕上った。ビロードは西洋伝来のパイル(羽毛)織物の一種で、このビロード地に花鳥や四季の風景などの絵画的な文様を友禅染であらわし、その一部に羽毛を立たせて立体感をあらわした織物がビロード友禅である。

 デザイナーの素質に恵まれた3代新七は、壁掛、屏風(びょうぶ)、衝立(ついたて)、着物など有数の美術染織品を完成させた。高島屋の優れた美術染織品は、美術染織工芸品として外国人客の間で評判を呼んだ。

 海外での取引が増えると、1887(明治20)年に貿易部を新設する。アメリカの哲学者で東洋美術に造詣が深いアーネスト・フェノロサが奈良や京都を訪れ、伝統美術の日本再発見ブームにわいたとき、高島屋は美術染織分野において不動の地位にあった。

 また3代新七は、外国人客にあわせた販売方式を採用している。

 <それまでの売り方は、中国流の「良賈(りょうこ)は深く蔵す」を守って、商品は倉庫にしまっておいて、お客様の注文に応じて出して見せる「座売り方式」でした。しかし、商品が増えるにつれ、「座売り方式」の不便さが表面化し、新しい販売方法として「陳列販売方式」が登場します。最初に「陳列販売方式」を導入したのは高島屋呉服店でした。高島屋京都店では、明治二十年(一八八七)に北店を増築、一階は座売りで、二階は外国人客用の貿易部とし、陳列売場を新設いたします><こうした動きと並行して「ショーウィンドー」が作られ始めます。これも、明治二十九年(一八九六)の、高島屋京都店のショーウィンドーが最初でした>(飛田健彦著「百貨店とは」国書刊行会)

 3代新七の直次郎が美術染織の分野で活躍できたのは、弟鉄三郎の存在を抜きに語れない。病弱の兄に代わって、鉄三郎は商売上の最前線に立った。

 また新設した貿易部は「輸出掛(ゆしゅつかかり)」と称していたほどで、高島屋の貿易業は輸出から始まっている。貿易部は四男藤二郎を主任にして、積極果敢に運営された。

(敬称略。構成と引用は高島屋の社史による。次回は6月20日に掲載予定)

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