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埋もれた記憶・朝鮮戦争70年

朝鮮戦争、極秘の「従軍」 日本人民間人、口外を禁じられた渡航

米軍作成の極秘文書の一部=福岡市中央区で2020年6月19日

 1950年6月に勃発した朝鮮戦争で、子どもを含む日本の民間人が米軍に従軍していた。米国立公文書館にあった米軍作成の極秘文書は、戦争放棄をうたった日本国憲法施行(47年)下で、日本人が戦闘に参加した秘史を記している。なぜ民間人が戦地に渡り、銃を取ったのか。なぜその史実が伏せられたのか。極秘文書をひもとき、探った。【飯田憲】

 「何人北朝鮮兵を殺したか分からない」。朝鮮戦争勃発から半年あまりが過ぎた1951年2月。北九州市の米軍基地「キャンプ・コクラ」の従業員だった上野保さん(当時20歳)は、米軍の尋問に前線での体験を明かしている。

 尋問記録によると、上野さんは第二次世界大戦終結後の46年に基地従業員になった。キャンプ・コクラでは自動車整備を担当したが、朝鮮戦争勃発と同時に通訳として同行を依頼され、50年7月9日に釜山に到着した。日本の植民地支配が続いた朝鮮半島で日本語が使えるとみられたのか、通訳で渡航した日本人は少なくなかった。

 戦闘の描写は詳細だ。カービン銃が支給され、同行した部隊は北朝鮮軍との激戦「大田(テジョン)の戦い」に巻き込まれ「部隊の半数が死傷した」。部隊を率いた米第24師団のウィリアム・ディーン少将と敵に包囲された田んぼに身を潜めた。その後ディーン少将と離ればなれとなり、田んぼで一夜を明かした。足を撃たれた米兵と大田を歩き回り、病院にたどり着いた後、帰国して米軍の尋問を受けた。

 上野さんは29歳の若さで亡くなった。15歳ほど離れた弟征雄さん(75)=北九州市若松区=は兄が基地で働いていたことは知っていたが、朝鮮戦争への「従軍」については知らなかった。「兄が人を殺してるとか、今聞いても現実として受け止めきれん」と押し黙った。

 実戦で銃を使って相手を殺害した、と尋問で証言した日本人は少年を含めて他に少なくとも…

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