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「60年安保闘争」とは

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「60年安保闘争」とは

保阪正康さんが語るあの時代 大人の弱さに突きつけた「NO」

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ノンフィクション作家の保阪正康さん=東京都千代田区の憲政記念館で2020年6月10日午後1時30分、鈴木英生撮影
ノンフィクション作家の保阪正康さん=東京都千代田区の憲政記念館で2020年6月10日午後1時30分、鈴木英生撮影

 今月15日は、戦後最大の大衆運動とされる1960年の「60年安保闘争」の国会突入デモで、当時東大生の樺美智子さんが亡くなってちょうど60年。このほど、国会議事堂の目の前にある憲政記念館で、当時の学生運動活動家らが「安保闘争60周年記念講演会」を開いた。この運動に参加したノンフィクション作家の保阪正康さんと、10歳ほど若い全共闘世代の作家、高橋源一郎さんが講演した。保阪さんの講演の概要を掲載する(高橋さんは「下」で)。【まとめ・鈴木英生】

戦争を作ったシステムの再来に「NO」

 今日は、私たちの体験が歴史にどう位置づけられるかを確認したいと思います。前提となる話を先に三つしてから、安保闘争での経験を話します。

 まず、60年安保闘争は、15年前の戦争で逝った、先達への連帯のあいさつだった。「あなた方を殺した時代に、私たちは明確にNOを言うのだ」と。

 私たちは「安保条約について何も知らずにデモをした」などとやゆされます。条文を読まなければ反対してはいけなかったのか。そんなことはない。(衆院で新安保条約承認が強行採決された1960年)5月19日以後の光景、権力の振る舞いは何だったのか。あの戦争を作ったシステムが再び現れつつある。これが最も重要で、条文はさしたる問題ではなかったのです。

 二つ目に、当時の権力者の視点です。吉田茂は、54年9月のサンフランシスコ講和条約調印と同じ日に、日米安保条約に署名しました。吉田は「私だけが署名する」と言った。なぜ、他の全権委員の若い政治家たちに署名させなかったのか。「いずれ問題になる」と考えたからです。岸信介は、60年の条約改定に際して、日米が対等な双務条約にしなくてはならないと考えた。なぜか?

 戦前の吉田は、奉天総領事もした外交官でした。岸は、満州国の官僚でした。日本は、明治の終わりに韓国に日韓議定書で、昭和の初めに満州国に日満議定書で、「お前たちに国家主権はない」と突きつけた。ところが戦後、彼ら帝国主義的な元官僚は、米国に安保条約や日米行政協定(現日米地位協定)を突きつけられ、部分的にでも国家主権を否定された。突きつける側から突きつけられる側に転落した屈辱感、恐怖…

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