メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ALL FOR 2020

東京へ ともに歩む

毎日新聞

5大会連続のパラリンピックに向け練習に励む大井利江=岩手県洋野町で2020年2月20日、宮間俊樹撮影

Passion

「鉄人」が思い描く東京パラ 71歳の砲丸投げ・大井利江 衰え知らず

 不屈の精神を誇り、人呼んで「鉄人」。予期せぬ延期が決まった東京パラリンピックに向けて再び動き始めた。「今となっては来年どこまで記録が伸びるか楽しみと思えるようになった」。パラ陸上の男子砲丸投げ、大井利江(71)=北海道・東北パラ陸協。古希を迎えても現役にこだわり続ける理由とは。【村上正】

 全国で唯一、新型コロナウイルスの感染者が確認されていない岩手県を拠点とする。だが、全国的な自粛ムードは当地にも波及し、いつも練習している競技場は利用休止となった。「今年に懸けていた」。一時は落胆したが、自宅やその周辺での筋力トレーニングなどの練習期間が増えたと前向きに考えるようになり、緊急事態宣言が解除された5月下旬、本格的に練習を再開した。

マグロ漁で下半身まひ パラ円盤投げで銀メダル

 岩手県洋野町出身。家業の漁師を継いだが、39歳の時、事故に遭う。マグロ漁での作業中、船上に備え付けられていた約20キロのかごが落下したのだ。首の骨を折って下半身の感覚がなくなり、車いす生活になった。5年間にわたって入退院を繰り返し、リハビリを兼ねてプールに通った。障害を負いスポーツには縁がないと思っていたが、友人からパラ陸上に誘われたのが転機となった。49歳の時だった。

 初めは、漁で鍛えたパワーを生かすため円盤投げに取り組んだ。記録を伸ばし、初出場した2004年アテネ・パラリンピック男子円盤投げで銀メダル、08年北京大会は銅メダルを獲得した。12年ロンドン大会以降は自身の障害クラスで円盤投げが不採用となり、砲丸投げに転向した。

 「パラリンピックの存在すら初めは知らなかった。障害を負った後に競技会に出るようになるとは思ってもいなかったし、友人がこんなに増えるとは」と、障害を機に一転した半生を振り返る。練習はマイペースを守り、加齢による周囲の心配に「衰えはない」と笑い飛ばす。

妻須恵子さん(左)の助けを借りながら日々、練習に励む大井利江=岩手県洋野町で2020年2月20日、宮間俊樹撮影

 いまだに現役を続行するには大きな理由がある。「特に北京とロンドンはスタジアムに入った瞬間からすごかった」。出場したパラリンピックで満席の競技場から受けた大声援が忘れられない。さらに、障害者スポーツの伝道者の一人としての自負もある。自らが結果を残すことで周囲の共生社会への理解は高まり、4年に1度の祭典の意義を常々感じている。

練習パートナーは妻 「今年が最後」と毎年言いつつ

 練習パートナーを務める妻須恵子さん(78)とは「今年が最後」と毎年言いながらも、続けてくることができた。「国内の大会ではまだまだ見に来てくれるお客さんが少ない。東京パラをきっかけに、想像以上の迫力や各選手が工夫しながら競技に取り組む姿をスタジアムで観戦してもらいたい」。3度目の表彰台を狙う大ベテランの意欲は衰えてはいない。

村上正

毎日新聞東京本社運動部。1984年、神戸市生まれ。2007年入社。舞鶴支局、神戸支局を経て、大阪本社社会部では大阪府警を担当。17年4月から現職。競技は水泳やサーフィンを担当。東京パラリンピックでは取材班キャップ。16年リオデジャネイロ五輪を取材した感動から、長女に「リオ」と命名した。