特集

入管・難民問題

国外退去処分になった外国人の入国管理施設での扱いが注目を集めています。難⺠に厳しいと言われる日本。人権は守られている︖

特集一覧

「難民鎖国」は今

南アジア出身の難民申請者と日本人妻 「日本で生きる場所認めて」

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
都内の自宅で寄り添い合う南アジア出身の難民認定申請者男性(左)と日本人の妻=2020年6月6日午後3時54分、和田浩明撮影
都内の自宅で寄り添い合う南アジア出身の難民認定申請者男性(左)と日本人の妻=2020年6月6日午後3時54分、和田浩明撮影

 「ほかの先進国に比べ非常に低い。もっとできることがあると思う」。グランディ国連難民高等弁務官は、日本の難民認定率をこう評した。世界の難民・国内避難民の数は7950万人(2019年末)で過去最多を更新したが、日本は難民の受け入れに消極的で、認定率は0.25%(18年、国連難民高等弁務官事務所<UNHCR>データ)にとどまる。難民申請者の中には、生命の危険を感じて母国を逃れた人も多く、東京都内で暮らす南アジア出身の難民認定申請者男性もその一人だ。20日は「世界難民の日」。男性と日本人妻に生きるための苦闘を日本語で聞いた。【和田浩明/統合デジタル取材センター】

「殺す」脅迫電話に生命の危機感じ逃れた母国

 --来日の経緯を教えてください。

 ◆(申請者男性)母国の学校で数学を教えながら、「政治家や役人が公約を守らず、税金を自分のものにしている」などと批判するビラを新聞に入れて配っていました。

 やがて実家に「お前の息子を殺す」といった脅迫電話がかかってくるようになりました。家に石が投げられるようなこともありました。生命の危険を感じるようになり、父と相談したうえで日本の短期滞在ビザを取得して来日しました。07年のことです。

 父は過去に日本で働いていたことがあり「日本は平和ないい国だ」と勧めてくれたのです。

 難民認定申請ができる、ということは当初知りませんでした。都内の料理店で働いていましたがオーバーステイになり、09年に警察に捕まりました。日本人の知人に通報されたのです。その後、東京の入管施設に収容されました。ここで他の収容者から難民認定について聞き、申請しましたが却下されました。さらに茨城県牛久市の入管施設に移されましたが、体調の悪化などもあり、本国への送還を前提に一時的に収容を解かれる「仮放免」となりました。10年夏のことです。

 生活のため工場などで働きましたが、仮放免中は就労が認められておらず、18年春に再度つかまりました。入管収容中に再び体調が悪化して3カ月で仮放免になりました。現在、3回目の難民認定申請が却下され、審査を求めているところです。

妻「結婚は無理と思ったが……」

 --現在は2人で生活されています。

 ◆(妻)12年に都内の会合で出会いました。当初、仮放免中であることは知らず、のちに打ち明けられた時、「いい人なのでサポートはしたいけれど、結婚などは無理だな」と思いました。友人にも「それは(配偶者)ビザ目的だよ」と言われました。家族も反対しました。本人にも「やめましょう」と伝えました。

 それでも彼は一緒になろうと頑張って働き…

この記事は有料記事です。

残り1850文字(全文2931文字)

【入管・難民問題】

時系列で見る

関連記事

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集