コロナ禍で見えてきた「原爆の図丸木美術館」の今、そして未来  学芸員、岡村幸宣さんに聞く

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「原爆の図」の前に立つ学芸員の岡村幸宣さん=埼玉県東松山市の丸木美術館で5月13日、成澤隼人撮影
「原爆の図」の前に立つ学芸員の岡村幸宣さん=埼玉県東松山市の丸木美術館で5月13日、成澤隼人撮影

 原爆投下後の惨状を描いた「原爆の図」を所蔵する「原爆の図丸木美術館」(埼玉県東松山市)が、新型コロナウイルス感染予防のための2カ月間の休館の後、このほど再開した。休館中、国内外から届いたのは、「次世代のために存続して」など多くの熱い応援メッセージ。そして5000件近い寄付だった。戦後75年を迎える「原爆の図」と小さな美術館が直面したコロナ禍……。そこで見いだされたものは何だったのか、同館のたった一人の学芸員で専務理事の岡村幸宣さん(46)に話を聞いた。【オピニオングループ/小国綾子】

「たとえ空襲下でも美術館は……」

 ――全国の公立の美術館や博物館が2月末、行政から自粛要請を受け、ばたばたと休館した中、丸木美術館は緊急事態宣言が出る4月まで開き続けましたね。

 ◆僕は、最後の最後まで「丸木美術館は開けていたい」と考えていました。それは2011年の東日本大震災の時と同じ。「戦争が始まっても、たとえ空襲下でも、美術館の扉は開ける」という気持ちでこの美術館と関わってきたつもりでしたから。

 そもそも、丸木美術館は行政や企業から出資を受けていない。多くの人々の寄付と入館料に支えられた独立運営です。だから、どこからも「自粛要請」は来ないんです。

 ――それでも最後は休館を選んだ。なぜですか。

 ◆3月になると、来館者がいなくなってしまった。それ以上に、受け付け業務をしてくれている職員さんの身が案じられました。

 丸木美術館は僕を含め、職員はたった3人。学芸員である僕以上に、不特定多数の人と接する立場にある職員、そして彼らの家族の健康を考えました。ドアノブや階段の手すりを何度も何度も消毒する彼らの姿を見て、もう限界だと思いました。その人たちの命を危険にさらすことはできませんでした。

 「美術館を開け続けることが、誰かの命を脅かすかもしれない」などという事態は想定したこともありませんでした。しかし、その頃になると、地元の東松山市にも感染者が出始めていた。

「閉めてよかったのか」と今も自問

――それで4月9日から休館したのですね。

◆政府の緊急事態宣言の出た4月7日の翌日、職員で話し合い、休館を決めました。

 半世紀以上、多くの人の思いでつないできた美術館の歴史を、一時的とはいえ閉じるという決断は重かったです。いまだに閉めてよかったのかどうか、自問しています。

国内外から5000人近い人が……

 ――休館で入館料収入も途絶え、収益はほぼゼロとなったと聞きました。

 ◆ええ。当初は「もっと大変な人たちもいるのだから」と、休館中に寄付を募ることは予定していませんでした。ところが休館をニュースで知った方々から寄付が集まり始めた。

 それで、窓口が必要となりました。ちょうど同じ頃、若い世代のサポーターたちが主に海外向けにオンライン決済のできる寄付システムを作ってくれていた。それを今回のコロナ禍の緊急募金用に整備してもらったんです。

 ――丸木美術館にとって、オンラインによる寄付は初めての試みですね。

 ◆そうしたら、信じられないことが起こりました。

 僕の携帯電話の通知音がピピコピピコと鳴りやまないんです。寄付の申し込みがあるごとに、メールで通知を受けられる設定にしていたら、5月5日の開館記念日の前後はもう、毎分のように通知がくる。これがオンラインの力か、と思いました。

 国内だけでなく、海外からも。夜中の12時を過ぎても通知がやまない。その数は、とうとう5000件に届こうとしています。

安倍政権への「批判票」?

 ――年間来館者約1万人の小さな美術館に、5000件も……。コロナ禍だから、寄付が集まったのでしょうか。

 ◆僕にも分かりません。ただ、安倍晋三政権への「批判票」がこちらに流れてきた印象は感じました。「1人10万円」の給付金を得た人から「有効な使い道の一つとして」「もともとは国民の税金。政府につまらない使い方をさせるより、丸木美術館を応援したい」などのコメント付きの寄付が結構ありました。

 ――寄付した人たちは、どんな人…

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