今も消えぬあの日の姉の声 集団自決、小さな壕の中で少年が見た「地獄」
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「母さん、早く。私から早く絞めて」。沖縄本島の西約40キロに浮かぶ慶留間(げるま)島。中村武次郎さん(90)の脳裏から、75年前のあの日の姉の声が消えることはない。
1945年3月26日、島に米軍が上陸した。母ウタさんと姉清子(きよこ)さんと共に山中を逃げ回った末、段々畑に掘った小さな壕(ごう)の中で1本の縄を互いの首に巻き付けた。「引っ張り合ったのか、それは分からん」。母と中村さんの間にいた姉だけが息絶えた。
慶留間島を含む慶良間(けらま)諸島に戦争の足音が聞こえ始めたのは44年秋。日本軍の秘密部隊が配備された。1人乗りのベニヤ板製のボートに水中で爆発する爆雷(ばくらい)を装着し、敵の船に体当たり攻撃をする海の特攻隊。舟は隠語で連絡艇を意味する「㋹=マルレ」と呼ばれ、沖縄本島に向かう米軍の船団を背後から奇襲する計画だった。
「八つ裂き」から「あめ玉」
日本軍の駐留で島の人々の暮らしは一変した。機密が漏れるのを防ぐため、島と島の行き来は制限された。男性は特攻艇を隠す壕を掘る作業に駆り出され、女性は隊員の食事の準備や農作業に追われた。14歳だった中村さんも午前中は学校に、午後は軍の指示で兵舎の屋根に使う草木を運んだ。軍と日常的に接する中で島民が聞いたのが「米軍に捕まれば男は八つ裂きにされ、女は強姦(ごうかん)されて殺される」という話だった。
ただ、中村さんは「島にアメリカが上陸するとは夢にも思わなかった」と言う。だが、島の人々の予想は大きく外れた。45年3月23日から慶良間諸島は米軍機の空襲にさらされ、25日には周囲に多数の軍艦が姿を現し、集落や山に砲弾を撃ち込んだ。慶留間島では26日朝に米兵が上陸。人々は山中を逃げ惑い、53人が「集団自決」で亡くなったとされる。清子さんもその一人だった…
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