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沖縄戦

「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦から77年。約3カ月に及んだ地上戦は住民を巻き込み、日米合わせて計約20万人が犠牲となった。

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戦場の住民たち・沖縄戦75年

少年1000人はゲリラにされた 沖縄戦“護郷隊” 「軍は国民を利用する」

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自宅近くの森を前に戦争時を振り返る仲泊栄吉さん。「昔の仲間も、もういなくなってしまった」=沖縄県東村で2020年6月19日午前10時3分、津村豊和撮影
自宅近くの森を前に戦争時を振り返る仲泊栄吉さん。「昔の仲間も、もういなくなってしまった」=沖縄県東村で2020年6月19日午前10時3分、津村豊和撮影

 「志願じゃなくて命令だよ。でも軍隊に行くのが本望だったから。僕も喜んだ」。沖縄県東村の仲泊栄吉(なかどまりえいきち)さん(91)は振り返る。1945年3月、16歳だった仲泊さんが送り込まれたのは「護郷隊(ごきょうたい)」と呼ばれるゲリラ部隊だった。山中に潜み、侵攻する米軍をかく乱する役割を担った。「逃げてもいいよ」。集まった少年たちに部隊長はそう述べ、さらに続けた。「逃げてもこれだから」。部隊長が首を切る仕草をしたのを仲泊さんは再現してみせた。

 防衛省や県の資料によると、沖縄戦における米軍の総兵力は推計で54万8000人(うち上陸部隊は18万3000人)。対する日本軍は10万2000人。このうち約4分の1に当たる2万5000人は、圧倒的な戦力差を補うために防衛隊や学徒隊として集められた地元の住民たちだった。

 沖縄戦に詳しい沖縄県名護市教育委員会の川満彰(かわみつ・あきら)さん(60)によると、護郷隊は44年10月~45年3月、15~18歳の約1000人が集められて発足した。指揮したのは秘密戦や謀略などの特殊任務を担う要員を養成した陸軍中野学校の出身者。川満さんは「旧陸軍第32軍(沖縄守備軍)が壊滅すれば米国は沖縄を足場に本土攻撃してくると大本営は予想した。護郷隊によって米軍を後方からかく乱する作戦だった」と指摘する。「軍国教育の下では少年たちに選択肢はなく、事実上の強制だったと言える」

 仲泊さんらは沖縄本島北部の恩納岳の山中に潜み、10キロの爆薬を米軍の戦車が止まっている場所に仕掛ける作戦に当たった。直前に別れの杯が交わされ、自爆用の手投げ弾を持たされた。「殺されるより自分でやる(自爆する)のが名誉でした」。だが、作戦は米軍の戦車が動き出したために失敗に終わった。

 仲泊さんは負傷兵を担架で運び、亡くなれば次々に穴に埋める役目も担った。そうした中、歩けなくなった少年兵が軍医に射殺されるのを目撃した。「(少年…

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