「捕虜に行くとき殺してやる」 日本兵が沖縄に向けたスパイの視線、増えた犠牲
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「沖縄人は皆、スパイだ」。沖縄県宜野湾市の大城勇一さん(86)は11歳だった75年前、米軍の侵攻から家族で逃れた沖縄本島最南端の糸満市摩文仁(まぶに)の海岸で日本兵から吐き捨てるように言われた言葉が忘れられない。日本兵はこう続けたという。「捕虜に行くときは後ろから手榴弾(しゅりゅうだん)(手投げ弾)を投げて殺してやるから覚えておれ」。狭い島で軍民が混在した戦場となった沖縄戦では、多くの住民が日本軍からスパイの疑いをかけられて犠牲者が増えた。
「米軍の捕虜となれば生体実験」と脅され、逃れた岩穴で2週間
1945年4月1日、米軍は沖縄本島中部の西海岸に無血上陸した。日本軍は本土防衛のために持久戦に持ち込んで時間を稼ごうとし、中南部で迎え撃つ作戦を取った。だが、米軍は総戦力で日本軍を圧倒。首里にあった日本軍司令部は5月下旬に本島南部へ撤退し、そこに避難した住民は「鉄の暴風」と形容される海、空、陸からの激しい攻撃にさらされた。
沖縄本島南部の南風原(はえばる)村(現南風原町)に住んでいた大城さん一家も、親戚ら9人で4月下旬から更に南へ向かって避難した。至る所に日本兵や住民の遺体が転がっていた。体が風船のように膨らんだり、ハエやウジ虫で顔が見えなくなったり……。「地獄さながらの光景だった」。米軍の攻撃から逃げる中で18歳だった姉が亡くなった。
一家は追い詰められた摩文仁の海岸の岩穴に隠れたが、食べ物は2週間ほど口にできず、みそをなめてしのいだ。投降して米軍の捕虜となれば「生体実験され、女性はなぶりものにされる」と聞かされていたが、米軍がまいたビラや投降勧告の放送から「殺されないのでは」とも思った。「このまま餓死するよりは……」。後日、大城さんは…
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