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旧石器時代の展示がないのはなぜ? 鉄器普及の通説が変わる? 考古速報展をじっくり楽しむ

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縄文の美を象徴する火炎型土器(中央左)など。「発掘された日本列島2020」展の会場内=江戸東京博物館で2020年6月22日、伊藤和史撮影
縄文の美を象徴する火炎型土器(中央左)など。「発掘された日本列島2020」展の会場内=江戸東京博物館で2020年6月22日、伊藤和史撮影

 遺跡発掘の最新事情を報告する「発掘された日本列島2020 新発見考古速報」展(文化庁など主催)が東京・両国の江戸東京博物館で開かれている(8月3日まで。その後、全国4カ所を巡回)。新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの博物館や美術館が休業を余儀なくされるなど、活動を大きく制約されてきた。見るこちら側としても、実物展示との久々の対面である。刺激的な出合いが今年もあるのだろうか。【伊藤和史】

旧石器時代の展示がない!

 いきなり、ちょっとショック。年代順による展示の冒頭が縄文時代の遺跡なのだ。日本列島の人類史は旧石器時代から始まり、次の縄文時代につながっていく。長年見てきたこの展示会も、記憶する限り、必ず旧石器時代がスタートを飾っていたのだが。

 「大規模な発掘が減ってきました」。文化庁の斉藤慶吏(やすし)・文化財調査官がその理由を説明してくれた。「発掘件数自体は一昨年が約8000件、昨年が約9000件なのですが、個人住宅の土地の発掘が増える一方、高速道路建設のような大規模な発掘は減っています」

 というわけで旧石器時代に関しては、「うちの、この遺跡をぜひ」という声が全国各地の教育委員会などから上がらなかったのだ。新発見速報展と銘打つ以上、「該当なし」もやむをえまい。決して旧石器時代研究が低迷しているわけではないだろう。しかも、今年はかの「旧石器発掘捏造(ねつぞう)事件」発覚20年なので、本来、この分野の研究者は腕の見せどころ。単に、単発でアピールしたいほどの新発見がなかったのである。

縄文時代の接着剤

 と、横道にそれかけたところで、縄文時代の「石船戸遺跡」(新潟県阿賀野市)の展示を見る。ここからの説明は、斉藤さんの生解説に加えて、展示図録「発掘された日本列島2020」(文化庁編)を参照させてもらった。

 縄文時代も終わりに近づきつつある縄文晩期の石船戸遺跡。ここの特徴は、アスファルトの使用だ。新潟県や秋田県は現在も油田で知られるが、この遺跡は石油産出地に近く、アスファルトそのものの塊のほか、アスファルトが付着した土器や石器が1300点以上も出土している。アスファルトは矢尻と柄の付着や、土器の修理などに使われた。縄文の接着剤である。

 素材のアスファルトを載せるため、画材でいう「パレット」として使われた平べったい土器や、塗布に使ったらしい土器片、さらには首の破損部分にアスファルトが付着した土偶の頭部などが見どころだ。この土偶の修復具合からは、どうやら頭部と胴体を何度もくっつけ直して使い続けた様子が見て取れる。

鉄器普及の通説に「待った!」

 次に弥生時代の「八日市地方(ようかいちじかた)遺跡」(石川県小松市)。この遺跡は北陸を代表する弥生時代中期の大規模環濠(かんごう)集落であって、大量の出土品をもつ。その中でも特筆されるのが「柄付き鉄製やりがんな」である。長さ16・3センチ。「やりがんな」は、木製品の表面を削って滑らかにする道具だ。ここの出土品は、鉄製の刃こそさびているものの、木製の柄(イヌガヤという樹木)や刃を固定するために巻かれた糸や桜の樹皮のひもは見た目も新鮮で、なんだか巻かれたばかりのような生々しさだ。柄に刻まれた斜め格子状の模様もモダン。

 完全な形での出土で、柄のついた状態の鉄製やりがんなとして国内最古の貴重品なのである。外観だけではなく、その意義からいっても、本展示会の白眉(はくび)といえるのだ。

 というのも、このやりがんなとともに、木製の斧(おの)の柄も多数出土しているからだ。斉藤さんによると、刃を取り付ける部分の形から見て、石の斧ではなく、鉄製の斧用につくられた柄と考えられているという。当時の日本には製鉄技術は存在せず、大陸から伝来した鉄製品を当地で加工するかして使っていたらしい。

 それにしても、弥生時代中期には、まだ九州北部などの限られた地域でしか鉄器は普及していないと考えられていた。それだけに、この遺跡での発見は、「通説の見直しを迫る成果」と斉藤さんも話す。水田稲作と鉄器の普及は、日本列島への弥生文化の浸透具合を最も端的に示す指標だ。研究の深まりが期待される。

 なお、ヒスイや玉の装飾品の加工の過程がわかる出土品にもひかれる。素材の碧玉(へきぎょく)などを削って、まず直径わずか2ミリ、長さ5~8ミリほどの円柱状の玉をつくる。次にその玉に穴を開けて「管玉」に仕上げる「石針」なる極細の道具があったことを知って、現在と同様、装飾品づくりに余念のないわれらの先祖たちの営みに感慨を覚えた。

大王の葬送儀礼を眼前に

 次に、世界遺産「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の構成資産の一つ、ニサンザイ古墳(堺市)。墳丘長約300メートル、全国第7位の巨大前方後円墳である。

 ここでは、墳丘を囲む周濠(しゅうごう)に渡された巨大な木橋の痕跡が見つかった。濠の外から後円部に向かって長さ55メートル、幅12メートルもの規模で架けられていて、古墳の被葬者の葬送儀礼で使われたと考えられている。

 この木橋は儀礼終了後、ただちに撤去されたと見られる一方、濠からは多量の木製品が見つかった。中には、貴人にさしかける日傘(蓋=きぬがさ)や、うちわを模したものもあった。古墳の装飾品としては、通常、土製の埴輪(はにわ)が思い浮かぶが、木製品も並べられたことがはっきりわかるわけだ。

 古墳は5世紀半ばごろの築造。同時期の全国で最大の前方後円墳であり、大王(後の天皇)の墓であることが確実視されるが、肝心の具体名となると五里霧中。反正天皇陵説もある…

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