Bリーグ・千葉ジェッツの社長時代、チームを人気、実力ともトップに押し上げた手腕を買われ、新型コロナウイルスで窮地に陥った男子プロバスケットボール界のかじ取りを託された。「難儀な時こそ受けたほうがいい。喜んで火中の栗を拾う」
性格は猪突(ちょとつ)猛進型だ。実業家志向で大学卒業後に就職した旅行会社を3年で退職し、25歳で知人とともに独立。だが、2001年に米同時多発テロの影響で客足が激減したこともあって再び会社を辞めた。約2カ月で別の旅行会社を設立したが、リーマン・ショックなどもあり、10年に会社を売却した。
その後、世界中を旅する生活を送っていたが、40歳を過ぎた頃、当時のプロバスケットボール、bjリーグ参戦を目指していた千葉の運営の手助けを求められ、12年に社長に就任した。
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