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社史に人あり

高島屋/11 東京を京都色に染めて新店舗=広岩近広

東京店舗のショーウインドーは、京舞妓姿の舞姫人形が並べられて京都ムードにあふれた=高島屋史料館提供

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 高島屋が東京の京橋区(現在の中央区)南伝馬(みなみてんま)町に新店舗を構えたのは、1916(大正5)年12月だった。「伝馬町」の由来は、飛脚の「伝馬」を置いていたからだという。街道の宿駅で、主として公用に使った馬が「伝馬」である。江戸時代、この一帯には、多くの職人や商人が住んだ。明治から大正時代になると、日本橋から銀座にかけて大商店街をなした。

1916年に新築開店した東京店舗=高島屋史料館提供

 高島屋が京橋区南伝馬町で新規開店するにあたり、京都の本店から約40人が転勤している。そのなかの一人に、24歳の川勝堅一がいた。川勝は著書「日本橋の奇蹟(きせき)」(実業之日本社)で、こう振り返っている。

 <京都を発(た)つ日は、朝からわくわくして落ち着かなかった。が、表面はあくまで今日からは心して紳士たるべしと、昨日までの古風なキモノと角帯姿をさらりと卒業し、パリッとした紺サージの背広に身を包んで、三等車の一隅に収まった。(略)ただ「高島屋」といっても当時は東京の人に通用せぬ言葉だった。(略)それほど東京では誰にも知られていないわが高島屋であることを、上京第一歩のお江戸日本橋の真ん中で、骨身にこたえて知ったのである>

 だが、新築披露の大売り出しは初日から、江戸っ子の注目を集めた。支配人の飯田新太郎(4代新七の長男)の陣頭指揮のもとで、京都から転勤してきた川勝らを加えた165人が総力をあげて、京都ムードを演出したのだ。建物からして、土蔵風3階建ての京風だった。好評を得ていた、京都店の建築様式を採用した。

 <開店当日は、その前日夜半までの豪雨が激しく気遣われていましたが、当日は朝から晴れて、快晴に恵まれ、京橋大通りでは漆家三層楼の陳列式店舗が朝日をさんさんと浴び異彩を放っていました>(社史)

 新店舗の正面入り口には、丸に高の字の入った提灯(ちょうちん)をつるし、ショーウインドーには京舞妓(まいこ)姿の四季の舞姫人形を並べた。商品は、京友禅や京呉服を取りそろえ、なんとも色鮮やかな陳列だった。社史は記している。

 <東京の真ん中に京都の本ものを提示し(略)これが東京人の評判を生み、連日朝から大入り続きで、初日には店頭門扉を三、四回閉鎖しなければならなかったということです>

 ところで川勝堅一は、呉服庫係から3年後の1919(大正8)年9月、東京店の初代宣伝部長に登用された。若々しい27歳の部長だった。川勝は当時の支配人、飯田新太郎や副支配人の村松善次郎らの名前をあげて、前掲の著書に書いている。

 <こうした先輩の下で、私は文字通り一生懸命に働いた。いずれの世界でも、よい先輩ほど有難いものはなく、私自身の気付かぬ長所まで引き出し、力に余る仕事もやり遂げさせる幸運と光栄を、私の小さい肩に負わせてくれたのである>

 多くの先輩に恵まれた川勝は、人材をつくる組織に恵まれていたのだった。

 (敬称略。構成と引用は高島屋の社史による。次回は7月11日に掲載予定)

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