頭にけが、23歳で引退 ボクシング元世界王者の手が握るおにぎりと家族愛
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大阪随一の歓楽街「北新地」。ネオン輝くビル街の一角で、元プロボクサーの山中竜也さん(25)がおにぎりを握っている。世界ボクシング機構(WBO)ミニマム級王座に上り詰めたが、試合で頭をけがして引退を余儀なくされた。拳でなくご飯を握る理由、女手一つで6人きょうだいを育てた母への感謝……。第二の人生でも変わらぬ夢があった。【田中将隆】
「全力でやったから、その後のキャリアも真剣に取り組める」
高級バーも入居する近代的なビルの1階。のれんをくぐると、昭和の雰囲気漂うカウンター10席の酒も楽しめるおにぎり専門店「おにぎり竜」がある。店長の山中さんは、ねじり鉢巻きに白い調理衣、薄茶色の腹巻き。どこか見たことのある服装だが……。
「アニメ『ど根性ガエル』に出てくるすし職人『梅さん』の格好なんです。店のオーナーから『似合うだろう』って言われて。ボクサー時代を知る友人たちからも『いいね』と言ってもらえて、気に入っているんです」
20種類ほどある具材の中で一番のおすすめは「乱王醬油(らんおうしょうゆ)漬け」。卵の黄身をだししょうゆに数日間、漬け込んだ逸品だ。現役時代、たんぱく質補給のために食べていた卵かけご飯のおにぎり版である。風味豊かな黄身はトロッとした粘りで、ふっくらご飯によく合う。
「テレビで見たレシピで自炊したら大好きな味だったんです。それ以来、よく食べました。おにぎりにしてもおいしいだろうと思いメニューに加えたんですよ。現役のころに食べていた味が人気になってくれて、うれしいですね」
素朴な笑顔と裏腹に、1年で天国と地獄を味わった現役時代があった。2017年8月、初世界戦のWBOミニマム級王座戦でタイトルを獲得すると、18年3月には初防衛に成功した。だが、世界王者としての時間は長くなかった。
「この1年は時間の経過が早く、あまり覚えてないんです。プロになってから時間が過ぎるのは早いと感じていましたが、あれほど早かったことは他になかった。いまだに世界チャンピオンになったという実感がありません」
18年7月13日。2度目の防衛戦は、地元・神戸での開催だった。試合が迫る夕刻。ママチャリで神戸市立中央体育館に乗り付けた。「庶民的」な登場にファンから温かい笑い声と拍手が上がった。途中まで優位に試合を進めたが、七回に相手の右ストレートを顔面に受け、そのまま判定負け。試合後の控室では「これで終わるつもりはない」と強がった。
「試合後に取材を受けている時も頭が痛かった。会場を出るころには歩くのもきつくて座り込んで、救急車を呼んでもらいました。意識はあったのですが、母は病院の人から『どうなるか分からない。親族を呼んでください』と言われたそうです」
頭蓋(ずがい)内で出血する「硬膜下血腫」。入院して2日後、集中治療室で診断名を聞かされた。一命は取り留めたもののボクサーにとっては致命傷。日本ボクシングコミッション(JBC)は規定で「頭蓋内出血と診断された場合、ボクサーライセンスは自動的に失効する」と定めている。
「同じ症状でやめた先輩がいたので『やめないといけないかも』と思ったことを覚えています。入院中にJBCの方が来て『もうボクシングはできない』と告げられました。そうなるかもと考えていたにもかかわらず、自分に言われている感じがしなかった。まるで、ひとごとのようでしたね」
日常生活に支障はなく「まだできる」と感じていただけに、「引退」の2文字に頭は真っ白になった。自暴自棄になりそうになったが、母と5人の弟妹が救ってくれた。
「普通だったんですよ。世界王者になろうが、現役引退しようが、何も変わらず普通に接してくれた。打ち込んできたものを失った人にどんな言葉をかけていいか分からないはずなのに、僕の家族は変わらずそばにいてくれた。それだけで良かった。家族が一番大事だったんです。ボクシングがなくなっても家族がいれば、それでいいって」
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