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世界遺産大山古墳から不発弾2個 大阪・堺大空襲から75年

不発弾が見つかっていた大山古墳=堺市で2019年6月、本社ヘリから山崎一輝撮影

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 国内最大の前方後円墳、大山(だいせん)古墳(堺市堺区、全長約500メートル)の発掘調査で、堺大空襲の際に投下されたとみられる焼夷(しょうい)弾の不発弾2個が見つかった。宮内庁が今年3月発表の「書陵部紀要第71号(陵墓篇(へん))」で報告した。大山古墳は戦前から現在まで「仁徳天皇陵」として管理され、昨年国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産になった「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の主要な構成資産。関係者は、歴史都市に刻まれた戦争の爪痕として後世に伝える意義を改めてかみしめる。10日で空襲から75年になる。【花澤茂人】

「まさかそんなものが」

「戦争の生きた資料を見つけられたことは大きな意味があった」。大山古墳を前に振り返る海辺博史さん=堺市堺区で2020年7月2日午前11時3分、花澤茂人撮影

 「まさかそんなものが」。堺市文化財課職員(当時)として共同調査に臨んだ市博物館学芸員の海辺(かいべ)博史さん(46)は、発見の瞬間をそう振り返る。

 調査は2018年10月下旬~12月初め、保存整備の事前調査として宮内庁と堺市が共同で実施。大山古墳は宮内庁が管理する「陵墓」のため外部の立ち入りや調査は原則認められないが、今回は地元自治体が発掘に参加した初のケースとなった。墳丘を取り囲む濠(ほり)の外にある堤(幅約30メートル)の東南部に3カ所のトレンチ(調査用の溝)を掘り、一列に並んだ円筒埴輪(はにわ)や石敷きなどを発掘した。

 その際に焼夷弾も見つかった。11月初め、トレンチに円筒状のものが突き刺さっているのを作業員が発見。断面は六角形で最大径約7・5センチ、長さ約38センチ。焼夷弾の可能性が高いと判断し、作業を中断して警察に連絡した。自衛隊が処分したが、中には信管が現存し、油のような液体が漏れていたという。10日後には別のトレンチでもう1個見つかった。「手つかずで2個も残されていたことに率直に驚いた」という。

 報告書執筆にあたっては、宮内庁から焼夷弾の部分の担当を打診され、「地元から参加した自分の役目」と引き受けた。空襲の記録を調べ、「市街地から少し外れたこの付近のデータはほとんどない。生きた資料が見つかったのは大きな意味があった」と感じた。

 印象に残ったのは、1945年7月12日の「大阪府警察局」の報告書。犠牲者や民家被害の記録より先に「仁徳天皇御陵 被弾数 焼夷弾約三百個」「御墳墓ニハ異常アラセラレズ」と書かれていた。「町が焼け多くの人が亡くなっても、ここは無事だったと強調されているように読めた。当時の世相を感じた」。また古墳全体の面積の0・04%に過ぎないトレンチから2個見つかったことから「実際には300個をはるかに超える数が投下されたはず」とも推測する。「古墳にも、現代まで連綿と続いてきた地続きの歴史がある。戦争の記録もしっかり将来に引き継いでいきたい」と力を込める。

「不発弾は、人間の愚かさを教えてくれている」と語る宮川徏さん=堺市堺区で2020年6月18日午後3時39分、花澤茂人撮影

「戦いの歴史」重層的に残る

 堺市の歯科医、宮川徏(すすむ)さん(87)は、焼夷弾発見の報を特別な思いで聞いた。奈良県立橿原考古学研究所の研究顧問を務めるなど考古学者の顔も持つ。今回の調査で宮内庁は、発掘現場を報道陣や歴史・考古学系の学会関係者らに公開し、宮川さんも文化財保存全国協議会の常任委員として立ち会った。焼夷弾が抜き取られた穴を目にし「生々しい、現在進行形の記憶がよみがえった」という。

 75年前のその晩、うとうとしていた宮川さんは、パパーンという爆発音で跳び起きた。町のあちこちで炎が上がる中、国鉄金岡駅(現JR堺市駅)の踏切あたりまで逃げた。近くの畑のあぜに腰を下ろして休むと、飛来するB29が市街地に次々と爆弾を投下するのが見えた。大山古墳の墳丘にも降り注ぎ、思わず「御陵が焼ける! 御陵が焼ける!」と叫んだ。「梅雨明け間近で湿気を含んでいたからか、燃え上がることはなかった。それでも、『聖域』である御陵が容赦なく爆撃される戦争の冷徹さを強く感じました」

 当時宮川さんは、大山古墳のすぐ西南にあった府立農学校の1年。空襲3日後に学校に行くと、焼け跡のトタン板の上に黒焦げになった7人の死体が並んでいた。防空壕(ごう)を爆弾が直撃し、犠牲となった生徒たちだった。「クラスメートもいました。後日、焼け焦げた服や帽子などの遺品整理もやらされた。少年にそんなことをさせるおぞましい軍国主義教育が、確かにあったのです」

 不発弾は、人間の愚かさを改めて教えてくれたと感じる。「ここ堺だけでも、古墳から見つかった当時の武具、中世の鉄砲文化、そして爆弾と『戦い』の歴史は重層的に残されている。それを絶えず思い続けることが、歴史の教訓を学ぶということでしょう」。かみしめるように語った。

堺大空襲

 1945年7月10日午前1時半ごろから約1時間半にわたった、米軍機の堺市への空襲。市の記録では死者1860人、重軽傷者972人を出し、家屋1万8009棟が全焼した。

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