長嶋茂雄さんも愛する至高のタマネギの味 私、農家のサウスポー
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その明るい声はかつて、毎日のようにグラウンドで聞いた声色だった。「げんちゃん、久しぶりー!」。電話の主は、プロ野球・巨人の長嶋茂雄元監督(84)だ。毎年、初夏の頃にタマネギの注文が入る。「ミスター」から厚い信頼を寄せられるのは河野博文さん(58)。独立リーグでの挑戦、余命1カ月の妻、販路開拓……。1996年のリーグ制覇に貢献したサウスポーはなぜ、第二の人生に畑違いの農業を選んだのか。【高橋秀明】
「家庭の『食』はどんな時代もなくならない」
赤城山を望む前橋市の畑で、取れたてのタマネギにがぶりとかじりついた表情が、思わずほころぶ。6月に入って、タマネギの出荷は最盛期を迎えていた。多い時で年間200トン近いタマネギを扱い、年商は4000万円近い年もあったという。河野さんは、群馬県で栽培されたタマネギの卸と加工食品の会社を営む。
「安心、安全にこだわって、有機農法で栽培しています。最初に自分で作った時、生でかじってみたんですが、甘くて、みずみずしくて、うまかったなあ」
高知県大月町出身。理髪店を営む両親の元に生まれ、海と山が近い恵まれた自然環境の中で育った。明徳高(現・明徳義塾高)から駒大へ進み、ドラフト1位で85年、日本ハムに入団。巨人に移籍した96年には、中継ぎとして最大11・5ゲーム差をひっくり返してのリーグ優勝に貢献した。「げんちゃん」の愛称でも親しまれたが、ロッテに移籍した2000年限りで現役を引退した。
独立リーグで群馬へ 送り出した妻
「現役のときはセカンドキャリアのことなんて、何も考えていなかった。引退後は親戚の建設会社で働いていました。お茶くみもやりましたよ。そんな07年の暮れに、独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスから投手コーチの声がかかったんです。悩んだんだけど、妻が『やったほうがいいんじゃない』と言って、背中を押してくれた。自分では決められなかった」
自宅は川崎市だったため、妻広子さんと娘2人を残し、群馬に移り住んだ。ところが就任2年目の09年夏、遠征帰りのバスの中で携…
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