写真で見る戦後 九州・山口の軌跡 朝鮮戦争勃発70年 /福岡

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帰国前に北九州を訪れたウィリアム・ディーン少将(左)=1953年9月、芦屋町の芦屋飛行場で。49年10月、第24歩兵師団長として小倉に赴任、謙虚な姿勢で市民に親しまれたという。米軍総司令官に任じらた朝鮮戦争の大田攻防戦で行方不明になったが、捕虜交換で日本に戻った。米国へ帰国前に小倉を3時間だけ訪れ、市民に別れを告げた。
帰国前に北九州を訪れたウィリアム・ディーン少将(左)=1953年9月、芦屋町の芦屋飛行場で。49年10月、第24歩兵師団長として小倉に赴任、謙虚な姿勢で市民に親しまれたという。米軍総司令官に任じらた朝鮮戦争の大田攻防戦で行方不明になったが、捕虜交換で日本に戻った。米国へ帰国前に小倉を3時間だけ訪れ、市民に別れを告げた。

「黒地の絵」の世界を考える 清張が描く治外法権と差別

 1950年6月の朝鮮戦争勃発時の福岡県小倉市(現北九州市)を舞台にした松本清張の「黒地の絵」という小説がある。翌月に米軍「キャンプ城野」から黒人兵らが脱走した実際の事件を基に創作している。脱走兵は小倉の民家を襲い、酒を飲み女性に暴行する。占領下で日本の警察は動けず、新聞も記事にできなかった。朝鮮戦争勃発から70年、現在の日米安全保障条約の発効から60年。この節目の年に「黒地の絵」を読み返すと改めて清張の眼力に驚かされる。今回は当時の写真を見ながら、小説の世界をたどってみた。【松田幸三】

 約200人といわれた黒人兵の脱走事件。発生時、GHQ(連合国軍総司令部)の支配下で日本の警察は手出しができず、新聞もほとんど記事にできなかった。清張は地元で起きた事件の重大性を後に知り、自ら情報、資料を集めて1958年に「新潮」に小説として描いた。

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