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記者・清六の戦争

太平洋戦争末期、フィリピンの洞窟でガリ版刷りの新聞が発行されていました。取材を担った伊藤清六を親族の記者が追います。

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記者・清六の戦争

/2 村で大学に進む者は一人もいなかった 農村を取り巻くひずみへの強い怒り

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伊藤清六の生家にある保存庫「伊藤文庫」=2020年1月16日午前11時41分、伊藤絵理子撮影
伊藤清六の生家にある保存庫「伊藤文庫」=2020年1月16日午前11時41分、伊藤絵理子撮影

 伊藤清六の生家で見つけた資料はところどころ虫に食われていたが、日記や作文には率直な気持ちがつづられていた。幼い清六の苦労と努力が行間から立ち現れるようだった。

 清六は7歳で父を亡くした。高等小学校時代の作文では父が病に倒れた時の状況を詳細に記し、「家に吉凶が出た時は父が生きて居たならばどうだっただろうと思う。あきらめようと思う程あきらめられず心苦しい」と吐露している。

 卒業後は、経済的な事情から近くの農学校に進学したが、父に代わり農事を取り仕切っていた母も死去。長兄の清一と、その妻まつを(私の曽祖母)が親代わりとなる。まつをの著書「石ころのはるかな道」によると、家族会議で清六を退学させることになり、清六は「おれ、なんぼしても学校やめねえばなんねえのすか」と毎日のように泣いていたという。結局、まつをの親戚に借金をして学業を続けられることとなり、「姉さん、おれ、な…

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