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 罠(わな)をしかけているのだ、と長身の老人は言った。言ったように聞こえた。

 そばにいた小柄な中年女性が、やめなさい、と訴えかけるまなざしで老人を見つめた。

 ふたりは年の離れた夫婦なのだろうか。あるいは、あまり似ていない親子なのだろうか。それとも単なる知り合いなのか。

 罠?

 老人の目の前の壁には、縦が1メートル半、横が2メートルほどのキャンバスが立てかけられていた。手首にシンプルな金のバングルを二つほどつけた老人の手には刷毛(はけ)が握られていた。サンダル履きの足元には蓋のあいた塗料の缶がいくつも置かれてあった。

 老人の服はその塗料でずいぶんと汚れていた。つば広の麦わら帽をかぶり、黒いTシャツにジーンズ姿の女性は僕に一瞬目を向けただけだった。老人のそばで腕組みをして、やや体をのけぞらせて立ったまま、目を細めてキャンバスを見つめていた、ワインレッドのルージュを引いた唇が動き、ふたことみこと何か発したが、それが老人に向けてなのかキャンバスに向けてなのかはわからなかった。そもそも小声だし早口すぎて、僕にはまるで…

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