「オリンピックの申し子」が今語る二刀流の意義 過去には新聞で批判も
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夏季五輪と冬季五輪の「二刀流」を果たした代表的な日本選手は、橋本聖子五輪担当相(55)だ。だが、冬のスピードスケート選手だった橋本氏を夏の自転車競技への挑戦に駆り立てた動機の一つは、意外にも自らの病気だったという。「代表権の横取りだ」と新聞で批判を受けたこともあった。橋本氏に当時を振り返って語ってもらった。【構成・村上正】
世界的な新型コロナウイルスの感染拡大の影響により東京オリンピック・パラリンピックは1年延期され、東京大会から2022年北京冬季五輪・パラリンピックまでの期間は半年となりました。この困難な状況でも夏季、冬季で連続出場を目指す選手がいます。自らの可能性を追い求める挑戦に大いに期待しています。
私が冬のスピードスケートから夏の自転車に挑戦することに大きなきっかけを与えてくれたのは、中学3年の頃に開かれた1980年レークプラシッド冬季五輪でした。男子スピードスケートでエリク・ハイデン選手(米国)が(短距離から長距離までの)全5種目で金メダルを獲得。陸上で言うと100メートルからマラソンまでのイメージです。ハイデンは「五つの金メダルを取れたことよりも、取るための過程が大切で次の人生に生かしたい」と話していました。その後すぐに引退し、自転車に転向。(世界最高峰の自転車ロードレース)ツール・ド・フランスにも参戦し、その姿に影響を受けました。
自らを悩ませた慢性腎炎 「困難への挑戦」きっかけに
自分自身は小学3年で急性腎炎を患い、高校生の頃に再発し慢性腎炎と診断されました。同時に、B型肝炎にも感染しました。…
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