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東京へ ともに歩む

毎日新聞

リオデジャネイロ・パラリンピックでプレーする車いすバスケットボール男子主将の藤本怜央(左)=リオデジャネイロのリオ五輪アリーナで2016年9月11日、徳野仁子撮影

Passion

「次世代にバトンを」 車いすバスケの第一人者・藤本怜央が語る「1年延期」

自粛期間中、ウオーターサーバーのタンクを使って筋力維持に努めた車いすバスケットボール男子の藤本怜央=本人提供

 日本選手団主将として2016年リオデジャネイロ大会を戦ったプライドに懸けて難局を突き進んでいる。20日で400日前を迎える東京パラリンピックの花形競技、車いすバスケットボール。新型コロナウイルスの感染拡大による大会の1年延期に、藤本怜央(36)=SUS=は「ポジティブなことは考えられなかった」と打ち明ける。【岩壁峻】

 「36歳というタイミングで、成長するための準備がなかなか厳しく(中略)若い選手の倍の努力が必要になりそう」。東京オリンピック・パラリンピックの延期決定から一夜明けた3月25日の早朝、藤本はブログで率直な心境をつづった。秋から春に毎シーズン参戦するドイツリーグが打ち切られ、3月20日に帰国したばかり。急すぎる展開に気持ちが追いつかなかった。「『もっとうまくなれる』『またいい準備ができる』なんて考えられませんでしたね」

 ただ、コロナによる不確定要素が多い中で「1年後」と明確に時間設定されたことは救いだったという。リオ大会を終え、4年後の東京大会を日本代表としての区切りとすることは既に決めていた。「東京大会の行方が分からないから次のパラリンピックへの準備もする、というのは中途半端。開催、中止どちらにしても21年を満足な形で迎えたい」と決断した。

2016年リオデジャネイロ・パラリンピックで日本代表選手団主将を務めた藤本怜央(左)と旗手の上地結衣=東京都千代田区で2016年8月2日午後4時36分、北山夏帆撮影

新型コロナで遭遇の不自由 練習見直すきっかけに

 緊急事態宣言が解除され、拠点にする仙台市の体育館は6月から利用可能になった。7月には所属する宮城MAXのチーム練習も再開。「密集を避け、なるべく短時間で集中するようにしています」。コンタクトスポーツにもかかわらず、激しい練習を控えるジレンマも感じつつ、できることが少しずつ増える日々に光を見いだしている。19年まで日本選手権を11連覇している宮城MAXは日ごろ、バリアフリーの体育館やトレーニング施設で練習を積んでおり、パラスポーツの中では恵まれた環境だ。ところが、新型コロナの影響で練習が不自由になり、「工夫も何もなかった」という日常のトレーニングを見直す契機になった。

 交通事故で右膝下を切断した藤本は、自宅では義足で生活する。約10キロあるウオーターサーバーのタンクを持ち上げたり、2段飛ばしで階段をジャンプして下半身に刺激を与えたりする自宅トレーニングもこなす。「パラアスリートはハンディキャップがある分、当たり前の環境が失われた時に慣れるまで時間がかかる。『こういうことができる』と発信すれば、未来のパラアスリートへの希望になる」。トレーニング内容は自身のインスタグラムで公開することにした。

 車いすバスケットボール男子のパラリンピック最高成績は1988年ソウル、08年北京大会の7位。表彰台という目標は容易ではないが、「東京でしっかり結果を出すのが僕の使命」と藤本。「東京で次世代にバトンを渡す」との決意を詰め込んだ言葉に、ぶれはない。 

ふじもと・れお

 1983年生まれ、静岡県島田市出身。小学3年の時にダンプカーにひかれ、右脚の膝から下を切断。中学から地元のクラブチームで健常者とともにバスケットボールに打ち込み、東北福祉大に進学後、宮城MAXで本格的に車いすバスケを始めた。車いすバスケのリーグがあるドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVにも所属する。

岩壁峻

毎日新聞東京本社運動部。1986年、神奈川県生まれ。2009年入社。宇都宮支局、東京運動部、北陸総局(石川県)を経て、2019年10月から東京運動部。現在は主にパラスポーツを担当。2016年リオデジャネイロ・パラリンピックは現地取材した。中学~高校(2年まで)はバレーボール部。身長が低かったため、中学の顧問には「スパイクは打つな」と言われて育つ。