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植村直己さん率いるエベレスト登山隊が採取の氷河、解析へ なぜ40年かかった?

植村直己さん

 1980~81年に冒険家、故植村直己さんが隊長を務めた「日本冬期エベレスト登山隊」(毎日新聞社など後援)によって採取された氷河に含まれる成分を、千葉大理学部の竹内望教授(48)が分析し、研究結果を近く正式発表する。当時、気象条件が厳しい標高6000メートル以上の高地にある氷河から試料を採取するのは極めて異例のことだった。危険を冒しながら苦労して採取した氷が解析に至るまでになぜ40年の年月を要したのか。そこから何が分かったのか――。【信田真由美】

 植村さんは70年5月、日本人で初めて世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に登頂。同年8月には北米大陸最高峰のマッキンリー(6194メートル)に登頂し、世界初の五大陸最高峰登頂者となったうえ、78年4月には世界で初めて犬ぞり単独行で北極点に到達した。43歳の誕生日を迎えた84年2月12日、マッキンリーの冬季単独登頂に世界で初めて成功したが、翌13日の無線交信を最後に消息を絶った。同年4月、「数々の冒険で国民に夢と勇気を与えた」として国民栄誉賞が贈られた。

 植村さんが自ら日本冬期エベレスト登山隊を組織したのは39歳の時。冬のエベレストは、チベット側からのジェット気流が強く吹き、頂上付近の気温も氷点下40~50度まで下がるとみられ、気象条件が他の季節と比べて格段に厳しい。

 挑戦する理由について、植村さんは80年に出版した自身の著書「冒険」(毎日新聞社)に「一つの壁を突き破った時、それに満足せず、新たに立ちふさがる壁をも突破しようというのは人間の本能。新たな壁はいろいろあるが、その中から私は厳冬期のエベレストに登れたら、という夢を選んだ」と記している。

 「単に登るだけでは満足できなくなった」という植村さんが、登山隊のもう一つの目標として掲げたのがエベレストのふもとの標高6000~7000メートルに横たわるクンブ氷河をボーリングし、持ち帰るというものだった。登はん隊員6人の他に、氷河の研究…

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