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社史に人あり

高島屋/14 軍部の要請で電機製作所=広岩近広

空襲で焼け野原になった大阪市内。中央上は高島屋と現在の南海難波駅=1945年10月13日、進駐米軍機から撮影

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 日本政府と軍部は、中国との全面戦争下の1938(昭和13)年4月、国家総動員法を成立させた。<法律が吸収する範囲も、戦争に直接必要な兵器、艦艇、弾薬などの軍用物資ばかりでなく、食料、飲料、被服をはじめ一般民需品から教育、訓練、情報、啓発、宣伝などの心的業務まで、政府で必要とあれば一切総動員することが出来る広汎無碍(こうはんむげ)の戦時立法である>(毎日新聞社「昭和史全記録」)

 このとき高島屋東京店総支配人の川勝堅一は、<国内は正に異常の緊張です>と著書「日本橋の奇蹟(きせき)」(実業之日本社)に書き、こう続ける。

 <軍需資材関係からの製造制限が急激となり、五月には輸出入臨時措置法に基づく銑鉄(せんてつ)鋳物が製造制限され、文房具、家具、什器(じゅうき)、玩具など四十品目が、事実上製造不可能となりました>

続々と工場に入る学徒勤労報国隊の関大生=1944年5月

 日中戦争が泥沼化すると、あえて米英に宣戦布告して、41年12月には太平洋戦争に突入する。川勝が常務取締役に就いた翌年の5月には、<企業整備令の公布、整備の名によるいわば店じまいの強制です>となる。

 具体的には売り場面積の縮小だった。軍部に供出した売り場には、軍需関係会社の事務所が入っている。43年になると、<思想も生活も一本に統制、全国の新聞が五十四に統合、ウンもスンもありません>と、川勝は率直に記すのだった。

 営業活動を奪う売り場の供出は、戦局が厳しくなると極端なかたちであらわれた。陸軍省の要請によって44年3月、航空機用通信機の製作協力を求められる。大阪店の5階と6階を三菱電機伊丹製作所の協力工場に転用し、高島屋電機製作所の設立に至った。

 航空機用通信機の製作と組み立ては、大阪店の売り場カウンターを作業台にして行われた。作業員は社員のほかに女子挺身(ていしん)隊70人、学徒勤労報国隊として夕陽丘高女生120人が加わっている。空襲下でも、男子は職場を離れず、増産に励んだ。12月には京都店3階に分工場を設置した。

 翌年の8月15日、敗戦により「終戦の日」を迎える。

 このとき高島屋は独自の判断で、挺身隊員や学生を即時に解放し、残った社員が復旧作業に励んだ。9月30日、高島屋電機製作所は閉鎖される。売り場を供出して異質の空間が生まれていたものの、すぐに元通りの売り場に切り替えることができた。戦後いち早く復興を果たしたのだった。

 戦争の時代を、高島屋とともに過ごした川勝堅一は、著書に書き留めている。

 <百貨店が大戦の真只中(まっただなか)において、不必要なものであったとすれば、いち早く他に転向しておったであろうし、さらにまた、かくもよく生き延びて来たのは、一に父祖の業に愛着を感じての私情からだけではなく、戦争がいかに苛烈になろうと、世情がいかに緊迫しようと、国民生活の存続する以上、われ等(ら)の業務は絶対必要であるとの信念と熱意と覚悟を堅持し、事に処し時に鑑み不退転の態度の動ずるところがなかったからだと確信します>

(敬称略。構成と引用は高島屋の社史による。次回は8月1日に掲載予定)

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