スタンドに足を踏み入れたとたん、息が止まった。ブルーの観客席は長年の風雨で薄汚れ、ピッチには灰色の作業員宿舎が建っている。スコアボードの時計は2時46分を指したまま動かない。サッカーの聖地と言われたJヴィレッジから、スポーツのぬくもりが消えていた。
2017年2月、福島第1原発事故から約6年後のことだった。スポーツボランティアを派遣する福島市のNPO法人「うつくしまスポーツルーターズ」の斎藤道子さん(56)は東日本大震災後初めて、Jヴィレッジを訪れた。
かつてはボランティアとして、サッカーの試合のたびに足を運んだ。試合前、みんなで座席を雑巾で拭くのが習わしだった。震災後、なじみのスタジアムは原発対応の最前線基地へと変わった。廃虚のようなスタジアムで、斎藤さんは3年半後に迫った東京オリンピック・パラリンピックに思いをはせた。閉幕日にJヴィレッジで五輪ボランティアの後夜祭を開き、被災地を見てもらうきっかけにできないか――。このころはまだ、「復興五輪…
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