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記者・清六の戦争

太平洋戦争末期、フィリピンの洞窟でガリ版刷りの新聞が発行されていました。取材を担った伊藤清六を親族の記者が追います。

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記者・清六の戦争

/3 憧れの体験入隊 思い砕いた「古兵への盲従」 たたき上げから従軍記者に

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清六の父清治が日露戦争従軍時に使用した軍帽と勲章。清六の生家に残っていた=親族提供
清六の父清治が日露戦争従軍時に使用した軍帽と勲章。清六の生家に残っていた=親族提供

 宇都宮高等農林学校(現宇都宮大学農学部)に通っていた1925(大正14)年、伊藤清六は仲間21人で宇都宮第66連隊へ見学に行き、詳細な記録を残している。「見学」とはいっても、実際に5日間兵舎に泊まり込み、軽機関銃射撃などの演習を行う本格的なものだ。

 大正期、陸軍は第一次世界大戦後の国際的な軍縮の流れを受け、3度にわたり将兵の削減を実施。宇都宮でも新規の入営を制限し、兵舎に空きが出て実現したものだという。

 清六は軍隊の存在意義についてさまざまな議論があるとし、「忠か。正か。はたまた逆か。軍隊に対する一通りの理解を得たい」と参加理由を記している。

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