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村上春樹をめぐるメモらんだむ

最新短編集から聞こえる音楽 仮定法のように、多様な「私」を自在に=完全版

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村上春樹さんの短編小説集「一人称単数」(文芸春秋)
村上春樹さんの短編小説集「一人称単数」(文芸春秋)

 18日、村上春樹さんの短編小説集「一人称単数」(文芸春秋)が刊行された。小説の出版は2017年の長編「騎士団長殺し」以来、3年ぶり。短編集は14年の「女のいない男たち」以来で6年ぶりである。

 収録作8編のうち7編は18~20年に文芸誌に発表されたもので、表題作の「一人称単数」1編が書き下ろしだ。雑誌発表の数編に加え、比較的短い表題作が書き下ろされる形は「女のいない男たち」と同じ。しかも、同様に表題作がこの本全体を象徴する意味を持っている。いや、今回はより直接的に、短編集の「解題」のような役割を果たしていると言ってもいいかもしれない。

 例えば、語り手の「私」(ちなみに、他の短編の語り手は「僕」もしくは「ぼく」で、これだけが違う)が、次のように考えるくだりがある。

 「私のこれまでの人生には――たいていの人の人生がおそらくそうであるように――いくつかの大事な分岐点があった。(中略)そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。もしひとつでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。でもこの鏡に映っているのはいったい誰なのだろう?」

 引用の最後の一文には傍点が振られているが、こういう自問の仕方自体は、それこそ誰もが人生のある場面で一度は経験するものだろう。また、「女のいない男たち」の表題作が散文詩ともいえるような、非常に暗示的、隠喩的な文章だったのに対して、「一人称単数」にそういう異質さはない。きわめて小説的、というか、むしろ村上作品らしさを凝縮したような小説ともいえる。

 あとは読んでのお楽しみだが、7月上旬にインタビューした際、著者本人がこの短編集に関する質問にも答えてくれた。その内容は既にサイト(前編・後編)で紹介したので、重なる部分もあるけれど、ここでも触れておきたい。刊行を受けて、特に上記の表題作を読んでみると、いっそう含蓄に富む話と感じられる。

「一人称をもう一回ちゃんと書いてみたい」

 まず、村上さんの最近の短編集は短期間にまとめて書かれ、雑誌連載の後、間もなく書き下ろしを加えて刊行されるというパターンが多かった。今回は雑誌発表が断続的に足かけ3年にわたったが、それだけ時間をかけて執筆したのか聞くと、「気が向いたら書くということですね。特に締め切りも何もなくて。最初の3本をわっと最初にまとめて書いたのかな」と答えた。書き上げたものをそのつど発表していったということだ。

 そして、タイトルについて、短編を改めて一人称で書きたいという意図の表れか、と問うと、次のように話した。初期作品で一人称の「僕」を用いた新しい文体が多くの読者をとらえた村上文学は、その後、徐々に三人称による小説へと移行してきた。

 「一人称をもう一回ちゃんと書いてみたいという気がして。8編それぞれに違う一人称なんです。みんな違う人がいろんな一人称で語っている、でも、ある種の共通点があるという割とややこしい構造になっています」

 確かに、どの短編にも巧みな仕掛けが凝らされている。一見、作家・村上春樹が自分の経験を書いているかのように思わせるが……。「というよりは、まあ、いろんな仮定法みたいなもの、こうであったかもしれない『私』みたいな感じですよね。『僕ではないけれど、僕がこうであったかもしれない』一人称の観点が主人公、という感じが近いと思う」

 この、仮定法のような「こうであったかもしれない『私』」とは、表題作でいえば先の引用部分の「今ここにいる」私、「ここにこうして、一人称単数の私として実在する」者に他ならないだろう。そうした「私(僕、ぼく)」が実に多様な状況設定のもと、自在に描かれているのである。

 筆者は、収録作を読んでいて、1985年出版の短編集「回転木馬のデッド・ヒート」を思い起こした。この本には最初に置かれた前書きのような一編に、全部語り手が実際に聞いた話だと書いてあるが、後に作家自身が全て創作であると明かした。だから「一人称単数」は、どれも作家本人の実際の話だと思わせつつ、本当は全部創作――という成り立ちのように思われたのだ。この連想が妥当か、(当然ながら)村上さんが明言することはなかったが、否定もしなかった。

「書きたいと思った時に書きたいように書く」

 一方、「一人称単数」のどの短編も、音楽が重要な役割を果たしているのでは、との質問には、即座に反応が返ってきた。「音楽、そういえばそうね。チャーリー・パーカー、シューマン、ビートルズ、あとは短歌が出てくるのが一つ、詩集が出てくる短編もある。それぞれの話に、そういう…

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