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常夏通信

その54 74年目の東京大空襲(40) 日本社会はこのまま戦争被害者を切り捨てるのか?

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東京大空襲から75年、東京都慰霊堂で焼香する人たち。新型コロナ禍の影響で、参列者は激減した=東京都慰霊堂(墨田区)で2020年3月10日、栗原俊雄撮影
東京大空襲から75年、東京都慰霊堂で焼香する人たち。新型コロナ禍の影響で、参列者は激減した=東京都慰霊堂(墨田区)で2020年3月10日、栗原俊雄撮影

 一年中、「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている常夏記者こと私は、ここ10年ほど、1年のうち特定の日に東京都内の特定の場所に行く。たとえば……。

 ①2月26日=賢崇寺(けんそうじ、港区)。1936年の「2・26事件」で処刑された青年将校らの追悼法要が行われる。

 ②3月10日=東京都慰霊堂(墨田区)。東京大空襲と関東大震災の犠牲者を追悼する「春季慰霊大法要」。

 ③5月25日=善光寺(港区)。東京大空襲に続く、米爆撃機B29による無差別爆撃(山の手大空襲)の被害者の追悼法要。

 ④8月15日=靖国神社(千代田区)。

 ⑤8月23日=国立千鳥ケ淵戦没者墓苑(同)。ソ連の独裁者スターリンがこの日に出した秘密指令により、日本人およそ60万人がシベリアなどのソ連領内やモンゴルに抑留された。抑留経験者や遺族らがこの日を「シベリアデー」として、2003年から同墓苑で追悼式を行っている。

 それぞれ例年、いつも通りの法要や追悼式がつつがなく行われる。しかし、ごくまれに、驚かされることもある。例えば今年の3月10日。例年600人ほどが参列し、堂内は立ち見の人であふれる。しかし今年は新型コロナ禍の影響で、法要に一般の参列はできなかった。そして5年前の2015年、「戦後70年」の3・10もそうだった。

東京大空襲被害者らの追悼式に、初めて参加した現役首相

 慰霊堂でその名前が呼ばれた時、堂内がどよめいた。

 「内閣総理大臣、安倍晋三殿」。この法要に、現職の首相が初めて参列したのだ。

 安倍首相の追悼の辞を見よう。

 「度重なる国難を乗り越えてきた先人たちにならい、私たちも明日を生きる世代のために手をたずさえ前を向いて歩むことを誓います。……過去に謙虚に向かい合い、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻み、世界の恒久平和のために貢献していきます……。あれから70年。戦災によって命を落とされた方々の尊い犠牲の上に、今、われわれが享受する平和と繁栄があります」

 東京大空襲に限らず、沖縄や広島、長崎など各地の戦没者慰霊祭で、参列する政治家らがしばしば口にするフレーズだ。あちこちで何度もこうしたフレーズを聴いてきた。

 私も戦争で亡くなった人を悼む気持ちを持っている。その点ではこのフレーズを口にする人たちと同じだろう。しかし、私はこのフレーズを無批判に受け入れることできない。理由は大きく言って二つある。

「戦没者の尊い犠牲の上に……」という呪文

 一つは、このフレーズは本当に戦争責任を負うべき個人や団体の責任を見えにくくする呪文になり得る、ということだ。

 戦争は、地震や火山の噴火のような自然災害ではない。個人や組織の判断ミスが生んだ人災である。「犠牲者のおかげで……」という歴史観は、現代人の関心、哀悼の意を戦争被害者たちに向けさせるだろう。一方で、人災である戦争の責任者の存在を見えにくくしてしまうのではないか。「なぜ、たくさんの人たちが犠牲になったのか」「どうして戦争が始まったのか」「だれの、あるいはどの組織に責任があるのか」。そういう問いを封殺してしまう呪文である。

 1941年12月、大日本帝国はアメリカなどとの戦争を始めた。しかし、もともと勝ち目のない戦争だった。この連載で以前に触れたように、同盟国のナチス・ドイツがイギリスを屈服させる→アメリカが戦意を失う→講和するという、蜃気楼(しんきろう)のような「終戦構想」で始めた戦争だ。

 それでも、戦争をやめる節目はいくつかあった。たとえば①ドイツが41年6月にソ連に攻め込んで、典型的な二正面作戦を始め、イギリスを屈服させる可能性が極めて低くなった時。…

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