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記者・清六の戦争

/6 記念写真の笑顔と南京の惨状 途絶えた続報 「知らなかったはずはない」

内側から見た現在の中華門。門が三重に連なり堅固な要塞のようだ=2019年8月24日午後6時12分、伊藤絵理子撮影

 2019年夏、私は南京を訪れ、市内に残る中華門に向かった。東京日日新聞(現毎日新聞)の特派員だった伊藤清六が従軍した第10軍第114師団が突入した門だ。

 幅118メートル、奥行き128メートルもあり、石造りの門が三重になった要塞(ようさい)のようだ。上からは広大な町並みが見渡せる。大勢の観光客にまじり、私は80年以上前の混乱と、奔走する清六の姿を想像した。

 南京は北西を長江が流れ、日本軍は東から上海派遣軍、南から第10軍が攻撃した。第114師団は雨花台などの激戦地を経て中華門を目指した。清六は1937(昭和12)年12月10日付で「『傷は浅いぞ』と陣頭に 方山要塞に決死の攻撃」の記事を書いている。

 この時の清六について書かれた資料を見つけた。戦闘に参加した兵士が郷里の新聞販売所に送った手紙「陣中通信」だ。「敵砲弾の集中射撃を浴びて部隊長が名誉の戦傷をされた時、私の後からやって来た伊藤清六特派員は泥塗(まみ)れの顔でニコニコ笑いながら『奴らもなかなかやるネ』といいながら原稿用紙に鉛筆を走らせていました。あの大胆さには将兵ともに感心しておりました」

 中国政府は既に首都を南京から重慶に移していたが、南京死守の方針は堅持していた。日本軍は9日、開城・投降を勧告したものの拒否され、10日、総攻撃を命令。激戦が続いた。

 この間、日本の新聞は攻略の報道を大展開し、先走って勝利を伝えた。東京日日新聞は11日付で「皇軍勇躍南京へ入城 敵首都城頭に歴史的日章旗」、東京朝日新聞も同日付で「祝・敵首都陥落 南京城門に日章旗」と報じている。日本国内では各地で提灯(ちょうちん)行列やアドバルーンの打ち上げが行われ、祝賀ムードに包まれた。だが、実際に陥落したのは13日のことだ。翌14日、2紙は「完全占領」という苦しい表現で報じた。

 従軍記者はどのように入城したのか。陥落前日の1…

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