毎日新聞
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台湾の李登輝(りとうき)元総統が亡くなった。97歳だった。中国共産党との内戦に敗れて台湾に渡った国民党の一党独裁体制を終わらせ、平和的に民主主義体制へ移行させた。
蔣介石(しょうかいせき)、蔣経国(けいこく)父子が率いた国民党政権は中国生まれの「外省人(がいしょうじん)」中心の体制だった。農業の専門家だった李氏は台湾生まれの「本省人(ほんしょうじん)」ながら能力を買われ、副総統に登用された。
1988年の蔣経国総統の死後、憲法の規定で台湾出身者初の総統に就任した。国民党主席にも選ばれ、内戦時に総統に独裁的な権限を与えた憲法の臨時条項を廃止して民主化に乗り出した。
外省人の既得権益に切り込み、40年代に中国大陸で選出され、長く議席を保っていた「万年議員」を説得して引退に追い込んだ。
国民党体制に不満を持っていた本省人や民進党など野党勢力からの信任も得て大きな混乱なく民主的な議会選挙を実施した。
対中関係では中国との接触を認めなかった政策を改め、民間窓口機関を通じた中台対話を始めた。一方で台湾の主体性や日米両国などとの関係を重視し、中国からは「独立派」と警戒された。
95年の訪米後、中国は翌年3月の初の総統直接選挙をにらんで台湾周辺でミサイル演習などを繰り返した。米国が空母を派遣し、「台湾海峡危機」に発展した。
だが、李氏は中国に反発する台湾住民の圧倒的な支持を受けて初の民選総統に当選し、民主的な体制への移行を完成させた。
民主化や台湾の自立を使命と考える一方、現実を踏まえた政策を進める戦略家だった。総統時代には統一を否定しなかったが、2000年の退任後は独立派を支援し、国民党とたもとを分かった。
日本統治時代に旧制台北高校から京都大学農学部に進んだ。94年に対談した作家の司馬遼太郎氏に「外来政権」に支配されてきた台湾人の「悲哀」を語っている。
世界の民主化を主導してきた米国で黒人差別に反対する大規模な抗議行動が起こり、香港では国家安全維持法が施行されて政治的自由が大幅に後退している。
民主主義の行方に懸念が高まる中、「ミスター・デモクラシー」と呼ばれた李氏の歴史的な業績を改めて思い起こしたい。
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