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2020ヒバクシャ

中沢啓治さん 平和こそ「最高の宝」 死してなお響く次世代へのメッセージ

中沢啓治さんの墓前に立つ妻ミサヨさん=広島市西区で2020年6月16日、山田尚弘撮影

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 広島と長崎は原爆投下から75回目の夏を迎えた。キノコ雲の下で何が起きたのかを捉えた映像は存在しない。住み慣れた街が地獄絵図と化し、人々はどんな体験を強いられ、どんな恐怖にさらされたのか。原爆への怒りに突き動かされた反骨の漫画家は、脳裏に焼き付けた惨状だけでなく、差別など被爆者が抱えた苦悩までも世に知らしめた。記録報道「2020ヒバクシャ」の6回目は、彼が残したものに迫る。

 「人類にとって最高の宝は平和です」

 広島市中心部を見下ろす高台にある墓地の一角。黒御影(みかげ)石の墓石に刻まれた純白の文字が浮かび上がる。墓に眠るのは、広島原爆を生き抜いた少年を描いた漫画「はだしのゲン」の作者で、2012年に73歳で死去した中沢啓治さんだ。

記録報道「ヒバクシャ」これまでの連載

中沢啓治さん=広島市中区で2012年1月25日、小松雄介撮影

 妻ミサヨさん(77)は広島のまちや瀬戸内海が一望できる墓地を探し、19年5月に納骨を済ませた。中沢さんは「死んだら葬式もいらない。瀬戸内海に散骨してほしい」と語っていた。だが、ミサヨさんは「散骨した後さみしくなるから。海も見えるし、許してくれるでしょ」と言ってほほえんだ。墓石には、中沢さんがサインを頼まれると、決まって書いたメッセージを色紙から転写した。

 中沢さんが墓に固執しなかったのには訳がある。原爆によって人が一瞬で焼け死ぬ様子を目の当たりにしたことで「死んだら骨になるだけ」と達観し、葬式や墓参りに意義を見いだせなくなったのだという。

 児童漫画家を自任した中沢さんは、自身の死生観をも変えた原爆の愚かさを子供たちに知ってもらおうと、6歳での過酷な体験を漫画を通じて描き続けた。

 中沢さんは生前、「次の世代が平和がどんなに大切かということを分かってくれたら、僕の役目は終わる」と語っていた。広島市の原爆資料館によると、「はだしのゲン」は絵本も含めて28言語に翻訳された。中沢さんの「役目」を終わらせるため、ゲンは世界中の子供たちに今も語り続けている。

 

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 なかざわ・けいじ 広島市生まれ。6歳で爆心地から1・2キロの学校前で被爆。家族3人を亡くし、当日生まれた妹も4カ月後に死亡した。自伝的漫画「はだしのゲン」の累計発行部数は1000万超。2012年12月に肺がんで死去した。

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「うそは描けん」漫画に込めた譲れぬ思い

 核兵器と戦争を憎み、広島と平和を愛した漫画家、中沢啓治さん(2012年に73歳で死去)は被爆体験を作品で明かし、核廃絶を訴え続けた。今は広島のまちを見下ろす高台の墓地に眠る中沢さんを突き動かしたのは、漫画家を目指して上京した5年後、原爆症に苦しみ、1966年に60歳で他界した母キミヨさんの死だった。

 荼毘(だび)に付すと、頭蓋骨(ずがいこつ)も灰になっていた。「原爆は骨まで奪うのか」。中沢さんの妻ミサヨさん(77)は、母の葬儀を終えて広島から東京の自宅に戻るまで、一言も発せず考え込んでいた中沢さんの姿が忘れられない。

 広島市から約30キロ離れた瀬戸内の島で生まれたミサヨさんは、原爆に遭っていない。広島で出会い、当時、結婚して間もなかった中沢さんが被爆したことは知っていた。だが、東京では被爆者であることを隠していた夫から、詳しく聞いたことはなかった。

 母の死をきっかけに原爆と向き合った中沢さんは2年後、米国への怒りを込めた作品「黒い雨にうたれて」を発表。73年6月、子供たちに人気の週刊少年ジャンプ(集英社)で「はだしのゲン」の連載を始めた。コンクリート塀の陰で熱風を免れ奇跡的に生き残ったこと、倒壊した自宅の下敷きになって焼かれた父、姉、弟との別れ、死への恐怖、貧困……。国民学校1年生で6歳だった自身の体験を、ゲンを通じてつまびらかにした。ミサヨさんは差別を覚悟するよう中沢さんに促された。だが、知人が連れてきた生命保険の外交員の一言に胸をえぐられた。「原爆を受けた人はいずれがんになるから」

 ミサヨさんは下書きをペンでなぞる作業などを担いながら「あんまり原爆のことを描かないで」と直訴したことがある。原爆の描写が続くと子供たちが「はだしのゲン」から離れてしまい、連載が打ち切られかねないとの不安からだった。

 「描かなければいけないことを最低限書いている。誰に何を言われても原爆の恐ろしさは描かなければいけない」。中沢さんは譲らなかった。

 広島や長崎以外では「はだしのゲン」を通じて原爆への理解を深めた子供も多い。日本各地の学校の図書館や学級文庫の蔵書が、表紙がボロボロになるまで読まれたと聞くと、中沢さんは相好を崩した。

 「読んだ後に子供が怖がって眠れない」。保護者から届いた便りには「感性豊かな優しいお子さんです。きっと良い子に育ちます」と返事を書いた。伝えたいことが子供たちに伝わっている。その手応えが中沢さんの生きがいだった。

 戦後長く続いた差別を恐れ、原爆体験を隠して生きてきた被爆者の中には、「中沢さんの作品が全て代弁してくれた」と電話をかけてくる人もいた。

広島市内の川岸に立つありし日の中沢啓治さん=2003年7月、佐藤賢二郎撮影

 一方で中沢さんの作品を巡っては、描写やその戦争史観を否定的に捉える動きもあった。広島市で13年度からの実施に向け、公立学校の平和教育プログラムの策定が進む中、副教材に「はだしのゲン」を盛り込む方針に異論が出ていた。

 12年1月10日、広島市中区役所3階の会議室に中沢さんの姿があった。市教委に招かれ、プログラム策定委員や市教委関係者ら約50人を前に講演した。自身の被爆体験を話した後で、漫画に込めた思いを訴えた。

 「戦争は絶対にしちゃいかん。核兵器をなくしていかなくちゃいけない。そのように思う世代を育てなくちゃいけない。そのために漫画も一つの役割を果たしているんじゃないかと思っている。そう自負している」

 2カ月後、市教委はプログラムの試案をまとめ、「はだしのゲン」を盛り込んだ副教材の採用が決まった。

 翌年には、松江市教委が小中学校に「はだしのゲン」を自由に閲覧できなくするよう要請したことが明らかになった。閲覧制限は後に撤回されたが、「描写が過激」というのが理由だった。

 ミサヨさんは、中沢さんが晩年を過ごした広島市内の自宅で、当時を振り返りながら亡き夫の言葉を繰り返した。

 「焼けただれる皮膚が爪で止まって垂れ下がっている様子を描かなければ、それは原爆被害ではない。俺はうそは描けん」

 

ゲンに託したメッセージ、世界に広がり

中沢啓治さんが生前に原爆資料館に寄贈した漫画「はだしのゲン」の原画の写しを手に思い出を語る妻ミサヨさん=広島市で2020年6月16日、山田尚弘撮影

 中沢さんは07年に広島市民賞を授与されるなど、その功績からさまざまな賞を贈られた。しかし、どんな賞よりも中沢さんを喜ばせたのは、世界中の子供たちに「はだしのゲン」が読まれることだった。外国語版を手に取っては感慨深そうに眺めていたという。絵本も含めて28言語に翻訳され、中沢さんの死後も共感の輪を広げている。

 広島への留学経験もあるカイロ大のマーヒル・エルシリビーニー教授(現代日本語)は、15年にエジプトで出版されたアラビア語版の翻訳を担った。今では、アラビア語を公用語とする他の北アフリカや中東などの国にも翻訳版が送られ、読まれているという。

 11年の民主化要求デモ「アラブの春」でエジプトが混乱していたさなか、「日本にあって中東にはない『平和』の尊さを伝えたい」と思うようになった。その後、国際交流基金のカイロ日本文化センターで「はだしのゲン」と出会ったことが翻訳につながった。広島留学中に被爆証言を聞いた経験はあったが、視覚に訴えかけてくる漫画を読むと、予備知識がなくても時代背景などまで理解できることに驚かされた。

 「はだしのゲン」を海外に広めようと20年以上翻訳を続けてきた市民グループ「プロジェクト・ゲン」(金沢市)には、作品に心を打たれた世界中の読者からメールが届く。

世界で出版されている「はだしのゲン」の翻訳版=広島市中区で2020年7月27日、山田尚弘撮影

 米ニューヨーク州の高校生リバイ・ハウゼルさん(15)は、原爆を落とした側の米国で英語版を手に取った一人だ。広島と長崎への原爆投下は学校の歴史の授業で習った。それでも、自分の知識がいかに浅はかだったかを思い知らされ、本を読んで初めて涙した。

 中沢さんは実際に起きたことは漫画の描写よりもひどかったと繰り返し語っていた。ハウゼルさんは「社会をより良くするためにも、実際にどのようなことが起きたのか、想像力を働かせる必要がある」と話す。

 ドイツ北部ノルダーシュテットに住む高校教師、シュテファン・シェンクさん(45)は最近、13歳の次男と一緒に独語版を読んだ。「絶望と希望が交錯する物語」を、喜怒哀楽の情を抱きながら読んだという。

 中沢さんが願った核廃絶はかなわぬまま、75回目の原爆の日がやって来る。米国による史上初の核実験から75年たった7月16日、トランプ大統領は「驚くべき偉業だった」と称賛した。核兵器の保有を正当化する核大国の姿勢は変わらない。

 北大西洋条約機構(NATO)加盟国のドイツは、日本と同じく米国の「核の傘」の下にある。シェンクさんは「核による保護など存在しない。私たちが生き残るための唯一の方法は『怪物』である核を廃絶することだ」と、中沢さんの思いをくむように言った。

 原爆資料館学芸課の菊楽忍さんは「はだしのゲン」の魅力を「少年漫画で重視される娯楽性だけでなく、歴史や平和について考えてほしいというメッセージが込められている」と解説する。歴史や思想、人種の違いを乗り越えよう――。中沢さんがゲンに託したメッセージは、世界に着実に広がり、受け入れられている。

 元小学校長で、広島市の平和教育プログラム策定委員として「はだしのゲン」を副教材に盛り込んだ佛円(ぶつえん)弘修(ひろのぶ)・広島都市学園大学教授は語る。

 「原爆で家族も家も失ったゲンは、中沢さんでもあり、焼け尽くされた広島でもある。踏まれても麦のようにまっすぐに強く伸びる生き様に、国境を超えて読者が励まされるのではないか」

【賀有勇】

 

全国の被爆者13万6682人、平均年齢83.31歳

 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は2019年度末で13万6682人となった。

被爆者は1980年度末の37万2264人をピークに減少し、13年度末に20万人を下回った。19年度だけで9254人の被爆者が亡くなった。

 一方、平均年齢は18年度末と比べて0・66歳高い過去最高の83・31歳になった。

 都道府県別で最も多いのは広島県の6万1795人。長崎県3万5597人▽福岡県5514人▽東京都4691人▽大阪府4535人――と続く。

 被爆者健康手帳は①直接被爆②原爆投下から2週間以内に広島市内、長崎市内に入った③救護活動に従事④胎児被爆――のいずれかに該当すれば交付されてきた。19年度末の内訳は①8万5306人②2万9208人③1万5289人④6879人。

 被爆者の高齢化と減少が年々進み、被爆体験の継承が課題となって久しい。

 広島市は、自らの体験を修学旅行生や外国人観光客らに語ってもらう「被爆体験証言者」を被爆者に依頼している。12年度からは、証言者から体験を受け継いで語り伝える「被爆体験伝承者」の制度を始め、現在は150人が活動する。原爆資料館は86年度から、被爆者の体験談を映像で記録して保存する取り組みを進めている。

 長崎市でも被爆者による講話のほか、被爆者の体験や平和への思いを本人に代わって家族らが語り継ぐ「語り継ぐ被爆体験(家族・交流証言)」推進事業が始まっている。

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