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50歳超えて夢追う2人の自己管理術 宇宙飛行士と五輪メダリストが確認していること

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オンライン会議システムで東京と米ヒューストンをつないで語り合う山本博(左)と野口聡一さん
オンライン会議システムで東京と米ヒューストンをつないで語り合う山本博(左)と野口聡一さん

 新型コロナウイルスの感染拡大で東京オリンピックが1年延期になるなど、スポーツや文化系のさまざまな大会が中止や延期を余儀なくされた。準備を重ねた先に訪れた非情な現実。目標が遠のいた時、どのような心持ちでいればいいのだろうか。10月下旬にも米スペースX社の新型宇宙船「クルードラゴン」に搭乗予定の宇宙飛行士、野口聡一さん(55)と、2度の五輪メダリストに輝いたアーチェリーの山本博(57)=日体大教=がオンライン会議システムで対談した。米テキサス州ヒューストンで過酷な訓練を続ける野口さんと、何千、何万と的を射続けてきた山本選手。50歳を超えてなお挑み続ける2人が「目標」とは何かを考えた。【構成・倉沢仁志】

野口聡一(のぐち・そういち)

 神奈川県出身。東京大大学院工学系研究科修了。博士(学術)。1996年宇宙飛行士候補に選抜された。2005年スペースシャトル・ディスカバリーに搭乗し、日本人として初めて国際宇宙ステーションで船外活動を行う。09年日本人として初めてロシア・ソユーズ宇宙船に船長補佐として搭乗し半年間の長期宇宙滞在を経験。14年世界中の宇宙飛行士の親睦団体である宇宙探検家協会会長に就任。20年米国人以外で初めてスペースXの宇宙船「クルードラゴン」に搭乗予定。宇宙滞在日数177日。

山本博(やまもと・ひろし)

 神奈川県出身。中学1年からアーチェリーを始める。高校時代は全国高校総体(インターハイ)3連覇し、大学でもインカレ4連覇を達成。日体大在学中の1984年ロサンゼルス五輪で銅メダル、2004年アテネ五輪で銀メダルを獲得。五輪はメダルを獲得した2大会に加え、88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタの計5大会に出場した。東京五輪は出場を逃したが、現役選手として活動。日体大教授、東京五輪・パラリンピック組織委員会顧問。

野口「年齢で夢を諦める必要はない」

 ――50歳を超えても挑戦を続けられる源は何ですか?

 野口 自分でやりたい、また宇宙に挑戦したい、新しい宇宙船に乗ってみたいという内なる声、目的を支えてくれる環境がある限り、自分で挑戦は続けられると思っています。日本の宇宙開発の状況や米航空宇宙局(NASA)の受け入れ状況を考えると、年齢で自分の夢を諦める必要はないと思っています。周囲が許してくれる限り、内なる声に忠実に従って挑戦を続けていきたい。

 山本 アスリートである以上に、人として受け入れられないと夢を追えないというのは痛感しています。自分が好きでアーチェリーを続けていて、気がついたら50歳を過ぎていました。41歳でメダルを取った時に多くの皆さん、同世代から「頑張っている姿に感動した」「僕も頑張ってみようと思う」といった手紙をたくさんもらいました。社会とつながっているように感じて、これが50代でも続けられる原動力になっています。

 野口 私も、自分が好きだからやっているというのが答えですが、それを通じて若い世代に夢とか、引っ張っていっている気持ちを感じてもらえたらと思っています。山本先生は日常的に大学生と接して、今の若い世代に感じることはありますか?

 山本 昔と今で大きく違うのは、今の子は多くの情報が簡単に手に入ってしまうということです。何か自分の夢や目標を描いた時、その到達点が簡単に読めてしまうというか、この先の難易度が分かってしまう。例えば、私は日本一の富士山に登りたいというモチベーションが起こると、登るための準備の話は後からついてきます。ところが、今の子と話をすると、登るまでの道のりが大変だと知っている。すると、「面倒だからいいです」と言って、多くの学生が感動の大きさを先に測ろうとするんです。

山本「目的を定期的に確認する」

 ――目標を持つ、持ち続けるという意味で、どのような心持ちが必要ですか。

 山本 努力をしても目標が達成されないということは山ほどあります。私は1980年のモスクワ五輪から今回の東京五輪まで11回チャレンジして、五輪に出場できたのは5回、落選が6回。5回出場してメダル獲得は2回で、…

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