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カルチャー各分野をどっぷり取材している学芸部の担当記者が、とっておきの話を報告します。インタビューの詳報、記者会見の裏話、作品やイベントの論評など、さまざまな手法で、カルチャー分野の話題の現象を記者の視点でお伝えします。

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常夏通信

その55 戦没者遺骨の戦後史(1) 故郷に帰れず、今も硫黄島に眠る戦没者1万人

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第二次世界大戦の激戦地となった硫黄島=東京都小笠原村で2018年1月26日、本社機「希望」から須賀川理撮影
第二次世界大戦の激戦地となった硫黄島=東京都小笠原村で2018年1月26日、本社機「希望」から須賀川理撮影

 多くのメディアが8月に集中的に扱う戦争関連の報道を、私は一年中、10年以上続けている。人呼んで「常夏記者」。その私が本連載などで長々と発信しているのは、非常にシンプルなことだ。すなわち狭義の戦争=戦闘は75年前に終わったが、その狭義の戦争によって苦しめられ、国から何の補償もなく亡くなっていった人がたくさんいる。また今も苦しんでいる人がたくさんいる。広義の戦争は未完である、ということだ。そして、為政者は時にとんでもないミスを犯して、その借金の勘定書きは広く国民に押しつけられ、何十年たっても清算されない、という事実=「常夏史観」である。

 前回までは東京大空襲を中心に常夏史観を振り返ったが、今回からは戦争で亡くなった人の遺体、遺骨がその後どうなったのか、を見ることで、常夏史観を再確認していきたい。

菅首相の同行取材で硫黄島へ

 私は1996年、毎日新聞に入社した。今年で25年目。早くから常夏報道をしていたわけではない。入社前から、入社後も長く政治部を希望していた。政治のナマの現場を取材し、報じたいと思っていた。ところが、かなわなかった。

 それが、ナマの政治と関係ないように思える(実際は密接な関係があることが、おいおい分かっていった)常夏報道へと方向転換するにはいくつかの大きなきっかけがあった。その一つが硫黄島(東京都小笠原村)での取材であった。

 たとえば2010年12月14日のことである。

 黒い土の上に、たくさんの骨が並べられていた。島の中央部にある自衛隊の滑走路の西側。第二次世界大戦末期、上陸した米軍との激戦で戦死した、日本人兵士らの遺骨が発掘、収容されている現場だった。

 硫黄島は東京から南におよそ1250キロ。第二次世界大戦末期の1945年2~3月、日本軍守備隊と上陸した米軍とが1カ月以上にわたり激戦を続けた。日本軍およそ2万人が戦死、生き残ったのは1000人程度とされる。米軍は島の占拠を続け、68年、ようやく日本に返還された。

 以来、日本政府による遺骨収容事業が行われている。これまで帰還したのはおよそ1万体分。いまだ1万もの遺骨が未収容のまま埋まっていると思われる。

 この日の取材は、当時の菅直人首相の同行取材だった。菅氏の民主党は野党時代から戦後補償問題に力を入れており、同氏は硫黄島での遺骨収容を進めるべく、野党時代から国会質問などを行っていた。首相になり、遺骨収容に力を入れ、成果を残した。それを視察するための渡島であり、いわゆる「首相番」の記者が同行したのだ。

 政治部に行けなかった私が、同行できるはずもない。しかし、とある縁で声がかかり参加できることになった。「栗原さんのように、熱心に長く取材している記者に行ってほしい」。そう誘ってくれた人に、後光が見えた。常夏記者は特定の宗教を信仰していないが、この時ばかりは新聞の神様の存在を感じた。

多くの遺骨にぼうぜん

 ただ急に決まったため、当日、島でどのようなスケジュールになっているのかは分からなかった。

 自…

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