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社史に人あり

高島屋/16 屋上で飼われたゾウの「高子ちゃん」=広岩近広

東京店の屋上で飼われたゾウの「高子ちゃん」は子どもたちに大人気だった=高島屋史料館提供

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 戦中から戦後の耐乏生活も、主食を除く食料品の統制が1950(昭和25)年に廃止されて、ようやく明るい兆しが見られるようになった。タイから買い受けたメスの子ゾウ(体重550キロ)が、高島屋東京店の屋上で飼われるのは、この年の5月である。ゾウにまつわるヒット企画を振り返りたい。

 戦時中、動物園で飼われていた多くの動物は、飢えて死んだ。空襲時に脱走して暴れたら困るとの理由から、軍の命令で射殺もされた。戦後、子どもたちは「実物のゾウを見たい」と願う。そこで、「ゾウ列車」が運行される。生存していた名古屋市の東山動物園に、ゾウを見に行くツアーだった。

 49年9月にインドのネール首相が、上野動物園に1頭のゾウを寄贈し、日本列島はゾウブームにわいた。翌年の1月、高島屋で会合があった。参加者から「ゾウを連れて来て、屋上で見せたらどうですか」と、集客のアイデアが出された。圧倒的なゾウ人気は認めるところだが、デパートと動物園は違いすぎる。本来なら一笑されるに相違ない。しかし、東京店営業部長の竹原兵次郎は、この提案を採用した。

 竹原はタイと接点のある都内の貿易会社を訪ねて、「ゾウが欲しいのですが、何とかなりませんか」と頼みこんだ。「案ずるより産むが易い」で、現地(タイ)から「子ゾウを送りたい」との連絡を受けたところだった。

さっそく海運会社に手配して、子ゾウを船便で山口県の下関まで運んだ。このとき地元の新聞社が聞きつけ、ゾウを下関市民に見せてほしいと懇願される。ゾウを受け取りに下関に赴いた高島屋の特使は、「早く、無事に、東京まで連れて帰る責任があります」といったんは断った。

 だが、子どもたちへのサービスを強調されて承諾し、野球のグラウンドにゾウを載せたトラックを回した。子どもたちは大喜びで、下関市長から花束とリンゴ2箱が子ゾウに贈られたという。

 下関から東京・汐留駅に着いた子ゾウは、トラックで銀座をパレードした。このあと高島屋東京店では、檻(おり)に入った子ゾウをクレーン車で地上33メートルの屋上へつり上げた。社史は<その間、日本橋通りは電車もバスもストップ、上を見上げる群衆でまさにサーカスそっちのけの大騒ぎ>と書いている。

 高島屋にちなんで「高子ちゃん」と名づけた子ゾウの人気はすさまじく、初日だけで17万人もの見物客が集まったという。地上33メートルの屋上で、ゾウを飼っている百貨店として、高島屋はアメリカの雑誌にも紹介された。

 当時の3代社長、飯田直次郎は店外宣伝を買って出る。この年から始まったプロ野球セントラル・リーグのナイターでスポンサーになるや、「エレファントシリーズ」と名づけて、飯田が始球式を行ったのである。

勢ぞろいしたコーポレートマスコットの「ローズちゃん」=高島屋史料館提供

 社長が率先した企画は多く、52年には「バラ」をシンボルフラワーにしている。4代社長の飯田慶三は画才で知られ、バラの花を好んで描いていた。飯田は「愛すべきバラを、高島屋のシンボルにしよう」と発案した。

 「高子ちゃん」は4年後に上野動物園に寄贈されたが、「ローズちゃん」は今もコーポレートマスコットとして親しまれている。

 (敬称略。構成と引用は高島屋の社史による。次回は8月15日に掲載予定)

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