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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「平和の大切さ伝えるため、もうひと頑張りしようか」語り始めた離島の被爆者 長崎

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被爆地の惨状を回想する被爆者の鈴木好長さん(右)と平間淳さん=長崎県対馬市で2020年7月26日午前10時36分、今野悠貴撮影
被爆地の惨状を回想する被爆者の鈴木好長さん(右)と平間淳さん=長崎県対馬市で2020年7月26日午前10時36分、今野悠貴撮影

 「やはり、伝えておきたい」。あの日から75年、長崎の離島の被爆者がそう思い始めている。1945年8月9日、原爆が落とされた時は長崎市内にいて、その後、離島に帰った人たちだ。本土に比べれば数は少なく、周囲に被爆体験を共有している人がほとんどいないため語る機会もなかったという。しかし、毎年8月9日が来ると凄惨(せいさん)な情景や亡くなった人たちへの思いを募らせていた。

 「ほとんど被爆体験は語ってこなかった。でも忘れたことはない」。長崎県対馬市の鈴木好長(よしなが)さん(93)がゆっくりと口を開いた。41年4月、対馬の国民学校高等科を卒業し、長崎市浜口町の三菱長崎工業青年学校に入学した。

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【広島・長崎原爆】

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