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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「原子ハゲ」と石投げられ…恐怖と生きた75年 ベッドで振り絞る被爆者の声

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「体調を崩すたび死の恐怖を感じてきた」と語る反納清史さん=長崎市城山町の自宅で2020年7月31日午後1時23分、松村真友撮影
「体調を崩すたび死の恐怖を感じてきた」と語る反納清史さん=長崎市城山町の自宅で2020年7月31日午後1時23分、松村真友撮影

 長崎への原爆投下から9日で75年になる。2歳で被爆した長崎市の反納(たんのう)清史さん(77)は、原爆の放射線による後遺症への恐怖を抱えて生きてきた。「死ぬまで付き合わなければいけないのが核兵器。多くの人が傷つけられた事実を伝えることが、被爆者の責務だ」。頸椎(けいつい)に血腫ができる原因不明の病気で20年来、体の自由がきかず、自室のベッドから声を振り絞る。

 1945年8月9日午前11時2分、反納さんは長崎市旭町(爆心地から2・2キロ)の自宅で昼寝をしていた時に被爆。左半身に熱線を浴び、腕や足に大やけどを負った。「母によると、ぼろ雑巾のように床下に落ちていた私を拾い上げて、稲佐山にある壕(ごう)に逃げ込んだそうです」。看護師だった母はやけどで癒着した反納さんの右手の指を2時間かけて開き、一本一本に包帯を巻いた。「母がそうしてくれなかったら手が不自由に…

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