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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「被爆者助ける」 軍事目的隠した米調査委 献体した遺族の憤り「被爆ない世界に」

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平和祈念式典に参列する三重県遺族代表の坂牧幸子さん=長崎市の平和公園で2020年8月9日午前9時32分、矢頭智剛撮影
平和祈念式典に参列する三重県遺族代表の坂牧幸子さん=長崎市の平和公園で2020年8月9日午前9時32分、矢頭智剛撮影

 長崎市の平和祈念式典に参列した三重県四日市市の坂牧幸子さん(76)は戦後、原爆症とみられる多重がんで父を亡くし、米原爆傷害調査委員会(ABCC、現在の放射線影響研究所)の求めに応じて亡きがらの臓器を提供した。「被爆治療の研究に役立つならば」との思いからだったが、後年、ABCCの目的は将来の核戦争を想定したデータ収集だったことを知る。父の臓器が役立つことのない世界に――。そう祈った。

 坂牧さんは1歳だった1945年8月9日、長崎市稲佐町の自宅(爆心地から1・8キロ)で被爆。母文子さんが坂牧さんを涼ませようと抱いて表に出たところで爆風に吹き飛ばされた。熱線で手などにやけどを負い、中学生まで発熱や鼻血、脱毛などの後遺症に悩まされた。文子さんは52年、原爆症による乳がんで亡くなった。38歳…

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