戦争協力への期待、基礎研究を貫きたい思い 日記から読み解く湯川博士の苦悩とは

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湯川秀樹の日記を解読した小沼通二・慶応大名誉教授=京都市左京区の京大基礎物理学研究所で2020年8月4日午前11時45分、千葉紀和撮影
湯川秀樹の日記を解読した小沼通二・慶応大名誉教授=京都市左京区の京大基礎物理学研究所で2020年8月4日午前11時45分、千葉紀和撮影

 日本人初のノーベル賞を受賞した理論物理学者、湯川秀樹(1907~81年)は太平洋戦争中、教授をしていた京都帝国大(現京都大)で原爆研究に携わったことが知られているが、他の軍事研究にも幅広く関わっていた。戦時中の日記の分析で判明した。特に、赤外線で目標に誘導する爆弾の研究に時間を割いていた。日記からは、戦局が悪化する中、自らが貫きたい基礎研究と、周囲から期待される戦争協力との間で苦悩した様子がうかがえる。

 湯川が初代所長を務めた京大基礎物理学研究所(京都市左京区)に遺族が寄贈した日記と関連文書を、湯川と親交のあった元日本物理学会会長の小沼通二・慶応大名誉教授(89)が分析した。日記は34~49年と54年の存在が確認されている。ノーベル賞の受賞理由となった中間子論の研究を記した34年と、海軍から委託された京都帝大での原爆研究「F研究」の記載がある45年の一部などが公開されているが、戦時中の日記の全容…

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